サッカー・數馬正浩さん|名門Jクラブからバス運転士へ キャリア転換期に感じた後悔<前編>

2024.08.15
取材/ 上岡真里江
撮影/ 原⽥健太

 名門・横浜F・マリノスのアカデミーで育ち、高校卒業とともにトップチーム(横浜F・マリノス)に昇格し、ルーキーながら開幕2戦目から先発出場を果たしたプロサッカー選手時代から一変、京王バス南株式会社(現京王バス株式会社)に入社し、バス運転士や運行管理業務を担う立場へと転身した數馬正浩(かずま まさひろ)氏。“Jリーガー”という華やかな舞台を離れてみて初めて感じた後悔、大手企業に入社したことで得られた“安定”への感謝など、波乱万丈の人生について語ってもらった。

―――プロサッカー選手時代を振り返って、最も印象に残っていることとは?

數馬 プロ1年目の最初も最初、ファーストステージ(当時は2ステージ制)の開幕戦からベンチに入れて、2節目から試合に出させてもらったことが、ものすごくイメージが強いですね。横浜F・マリノス時代、ユースから上がった同期選手が多かったので、和気あいあいとやりながらも、同じポジションにライバルもいましたし、上には小村徳男さん、上野良治さん、遠藤彰弘さん、川口能活さん、松田直樹さん、中村俊輔さんなど、当時の日本代表や元日本代表の人も多数いたので、すごくいい刺激にはなりましたね。

―――錚々たるメンバーですね!

數馬 そうなんです。当時は自分のことで一杯一杯だったので何も思わなかったのですが、今思えば、すごいメンバーの中でやらせてもらったなというのを、こうして振り返るとあらためて感じます。

―――その後、2年目の2002年9月にベガルタ仙台へと移籍。2005年からJAPANサッカーカレッジに在籍し、2008年限りで引退をなさいました。そのタイミングでサッカーを辞めようと思った理由とは?

數馬 当時、JAPANサッカーカレッジというのは北信越1部リーグで活動するサッカー専門学校だったのですが、それでも僕は一応プロという形でやらせてもらっていたんです。自分の中では2007年シーズンに(地域リーグの次のステージである)JFLに昇格させてあげられなければ、もうサッカーはやめようと決めていました。

 というのも、ベガルタ仙台にいた時と比べて収入は3分の1ぐらいに落ち込んでしまっていましたし、高卒からいきなりのプロだったので、お金や契約に関しての知識がないので、JAPANサッカーカレッジと契約する時にも、生活のことなどまったく考えていなかったんですよね。本当に、ただ「サッカーがやりたい」という一心で、例えば支度金がいくらということも全く交渉していなかったぐらい(苦笑) その感覚のままだったので、正直、次のキャリアは何も決めていない状態で辞めました。

―――すでにご結婚なさっていたんですよね?

數馬 はい。20歳の頃、ちょうど横浜F・マリノスからベガルタ仙台に行くタイミングで結婚して、仙台にいた時に子供も生まれました。なので、2008年限りで自分から区切りをつけてサッカーとは違う仕事に就くということは妻にも伝えていました。

―――やはり、収入の部分が一番大きな引退理由だったのですか?

數馬 そうですね。「ちょっとこのままじゃ続けられないな」と。高卒でいきなりプロ入りして大きなお金をもらってしまったこともあり、貯金とか、将来のためにとか、まったく何も考えていなくて。若かったので、妻とも毎日「今日作るのめんどくさいでしょ?外食に行こう!」とか、本当にそういう感覚でした。JAPANサッカーカレッジに行ってからも、収入は激減したものの生活水準は実はそんなに下げることはしていなくて。なので、実はJAPANサッカーカレッジにいる時点で、すでに焼肉屋や居酒屋などでアルバイトをしていました。その意味では、すでにサッカー界以外でもいろいろな人の繋がりができていましたし、アルバイトの経験もあったので、サッカーを辞めても、割とすんなりとセカンドキャリアに入っていけたと思います。

―――現在勤務なさっている京王バス株式会社には2013年に入社なさっています。2008年のサッカー選手引退後からは、どのような経緯を辿ったのでしょうか?

數馬 まず、妻の実家が静岡だったので、静岡で1年ぐらい引っ越し業をやりました。その後、スーパーで青果担当をやらせてもらって、静岡からまた東京に引っ越してきて、今の営業所の近くにある『クロネコヤマト』さんで日雇いのアルバイトをしたんです。その荷物の配送とかでドライバーさんと一緒に回っている中で、京王の求人を見たのが今の会社と出会ったきっかけです。京王なら、会社も大きいですし、この会社だったら安定して生活できるなと思ったので、応募しました。

 なので、べつに特別バスの運転士になりたかったわけでもないんです(笑)ただ、逆にいうと、仕事へのこだわりというか、「どうしてもこれがやりたい」という仕事がなかったからこそ、直感で動けたのではないかなとは思います。僕は、「どこで」よりも、入った会社で結果を出したいというタイプなんだと思います。

―――今年で入社12年目を過ごしていらっしゃいます。プロサッカー選手のキャリアも含め、今の会社が一番長く所属なさっているということになりますね。

數馬 気がつけば一番長くなりましたね。最初の頃は8年間運転士をやって、今は2年ほど前から運行管理の業務をやらせていただいています。長く続けられている1つの要因として、『努力』をサッカー選手時代の経験から学んだことかなと思っています。というのは、とにかく「使えないやつだな」ということだけは絶対に言われたくないんですよ。プロサッカー選手時代は、横浜F・マリノスでも、ベガルタ仙台でも、「なんで使ってくれないんだよ?」「なんであいつの方が使われてるんだよ?」という、今とは全く逆の考えでサッカーをやっていたと思うんですよね。でも、社会に出てからはその考え方を変えて、「必要としてもらえるように頑張ろう」「どの仕事も精一杯頑張ろう」ということを意識して、努力するようになりました。

 本当に今あらためて強く思うのは、サッカー選手時代はものすごく恵まれていたなということ。自分の好きな仕事ができて、それでご飯が食べられて、毎日サッカーできたというのは、すごく充実していたなと思います。今は、そんな時代が自分の人生にあったことがいい励みにもなっていますし、逆に、だからこそ悔しい気持ちもものすごくあります。

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【數馬正浩プロフィール】
1982年生まれ 神奈川県出身
横浜F・マリノスのアカデミーからトップチームに昇格し、ルーキーながら開幕2戦目から先発出場を果たしたセンターバック。その後ベガルタ仙台、JAPANサッカーカレッジを経て現役を引退。いくつものアルバイトなど職を変えながら、2013年に京王バス南株式会社(現京王バス株式会社)に入社。運転士として勤務した後、現在は運行管理の業務を担っている。

大阪生まれ東京育ち。 大東文化大学外国語学部中国語学科卒業。スポーツ紙のサッカーデータ入力アルバイト、スポーツ総合誌編集アシスタントを経てフリーライターへ。Jリーグ横浜F・マリノス、ジュビロ磐田の公式ライターとして活動したのち、2007年より東京ヴェルディに密着中。2011年からはプロ野球・埼玉西武ライオンズでも密着取材し、公式媒体や『週刊ベースボール』に寄稿中。

撮影/原⽥健太

1990年 埼⽟県出⾝。 専⾨学校を卒業後、スポーツフォトエージェンシーに所属しJリーグの撮影を中⼼にキャリアをスタートさせる。2021年に独⽴しフリーランスとしての活動を開始。 現在は、サッカーを中⼼に陸上競技や野球など、様々なスポーツを撮影している。

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