ソフトボール・長﨑望未さん|自分の気持ちに素直に 女性アスリートを取り巻く環境と目標とのバランス<後編>

2024.08.29
取材/ 上岡真里江
撮影/ 須田康暉

 元ソフトボール日本代表の長﨑望未さんは、2020年限りで現役生活に終止符を打った。引退後はYouTube配信やJD.リーグ(Japan Diamond Softball League:日本女子ソフトボールリーグ)アンバサダー就任、ソフトボール教室開催、アパレルブランドの立ち上げ、コラム執筆、そして今年1月には『マルチ&ヴィクタススポーツジャパン合同会社』との業務委託契約など、マルチに活躍の場を広げている。彼女の潔さと好奇心はどこからくるのか。その源に迫った。

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―――2020年限りでの引退を決めていた中で、その後の進路計画は立てていらっしゃったのですか?

長﨑 2016年、17年ぐらいに、「辞めたらどうしようかな」というのは軽く考えはじめていました。その時住んでいたのが愛知県豊田市だったので、名古屋からも遠くて。何かをやろうと思ってもすぐに動ける場所じゃないなというのはずっと思っていたので、「引退したら、まずは東京に出ていけたらいいな」ということだけはずっと思っていました。

 実際に引退した時に、トヨタはオフィスが東京にもあるので、会社に異動の相談をして、東京に部署を変えていただいたという形でした。

―――トヨタの正社員として働いていらっしゃったのですか?

長﨑 正社員ではなく、『嘱託契約』という、業務委託契約という形でした。選手の途中からすでに嘱託契約だったので、そのままの形を継続して、籍だけを東京に移していただきました。ありがたいことに、現役を辞めた時に正社員のお話もいただいたのですが、私の中で、自分が毎日オフィスでパソコンに向かってカタカタ作業している姿が想像できなくて。それに、「それは自分がやりたいことなのかな?」と自問自答した時に、やりたいことではなかったので、正社員は辞退させていただきました。

―――大手企業での安定した収入を手放し、初めての東京でチャレンジすることへの不安みたいなものはなかったですか?

長﨑 なかったですね。もともと、大企業にこだわる考えはなかったですし、東京ってなんでもあるじゃないですか(笑)最悪、「仕事がこないなら、アルバイトでもなんでもしていけば生きていけるやん」ぐらいの感覚でした。

―――そんな中で、今年1月に『マルチ&ヴィクタス合同会社』との業務委託が決まりました。今後、どのような形での活躍を思い描いていらっしゃいますか?

長﨑 このメーカー自体、MLB(アメリカ・メジャーリーグ)ではバット使用率が高いのですが、日本では2021年に日本支社ができたばかりです。 今年から選手とのアドバイザリー契約がスタートしたというくらい、まだ日本ではホヤホヤな企業ではある中で、私はプロ野球選手のバット担当や、グローブ企画などをやらせてもらっています。まずは、有名選手や、これから活躍しそうな有望選手を『マルチ&ヴィクタス』に引き込む手伝いができたらいいなというのが、今の一番の目標です。そこからシェア率を広げて、ゆくゆくは「バットといえばマルチ&ヴィクタス」と言われるぐらいの流れが日本でも作れたらいいなという想いでやっています。

 ソフトボール部門でも、現状は中学校、高校生のゴムボール用バットしかまだ出ていないのですが、今後は大学生や実業団用など、さまざまな分野のバットを出していく予定なので、ソフトボールと野球を並行しながら、ちょっとでも日本で有名なメーカー になれたらいいなと考えています。

―――そうした会社からの期待やご自身の目標がある中で、長﨑さんがプロソフトボール選手だった経験が生きることは、やはり多いですか?

長﨑 プロ野球選手と交渉していく上で、技術面に関しては、彼らそれぞれがトッププレイヤーなので、私が踏み込むことは一切ありません。ただ、例えば木材についてや、ある程度の野球知識はあるので、他の競技未経験の社員やスタッフの人たちと比べたら、細かなこだわりへの理解やアドバイスができる部分は多いのかなとは思います。

 だからこそ、やはり「選手ファーストでいたい」とも思います。自分の選手経験から、「何かが欲しい」と言われたら、一日でも、一時間、一秒でも早く選手の元に届けなきゃと思いますし、そうした、選手の立場からの「どうしてほしいか」がわかることは、私の一番の強みだと感じています。

―――視点を変えてみると、引退なさったのは28歳でした。いま、環境が変わり、女性アスリートも長く現役生活を送れるようになりつつある印象がありますが、それでも『30歳』前後は、出産や育児なども含め、女性にとっては現実的にひとつ大きなボーダーラインになると思います。その視点から思うことはありますか?

長﨑 各種目、ルールや環境がどうなのかはわかりませんが、ソフトボール界で話せば、『10年表彰』というのがあって、10年続けたらそれなりの評価を得ることができます。男性は、たとえ家庭ができても続けられますし、結婚や子供ができたとかは関係ないと思いますが、女子選手は、家庭に入ってしまうとそれも難しくなってしまいますよね。だから高校や大学を卒業して10年というのが、ちょうどそういった年齢にも差し掛かって、ひとつの区切りになるのかもしれません。私がソフトボールをしていた頃は、結婚している選手も全くいませんでしたね。

―――全くですか?

長﨑 はい。今は数名いらっしゃると思いますが、本当にソフトボールしかできない環境にいるんですよ。これは他競技の女性の方もそうだと思うんですよね。シビアな話ですが、企業チームなので、いくら頑張っても年俸が上がることはほとんどありません。となると、気力と、自分の人生としての目標のバランスというのがあるので、私は、「いつ辞めてもいい」という感覚でやっていましたし、だからこそ、「2020年には何があっても辞める」とスタッフにも言っていました。

 周りの女性選手をみても、辞めることに関して後悔がない人はバッサリやめるし、逆に、その競技が好きな人は長く続ける人もいるし、中には人生的に特にやりたいことがいからそのまま続けている人もいます。つまりは、環境と自分が思う目標とのバランスがきちんとかみ合わないと、女性アスリートって長く続けられない。早く見切りをつけるのか。まだ目標があるからやりきるのか。その二択だと思います。

―――競技を超えて、“女性アスリート”の方々に伝えたい思いはありますか?

長﨑 いま、現役選手を続けながら子供を産んで、また復活できるというケースが、サッカーやバレーボールだと時々あるのも事実です。それでも、現時点では、基本的に女子ソフトボール界ではそういったケースはないので、一度離れたら戻ってこられない環境になってしまっているのかなと。なので、競技によって違うと思いますが、それぞれの競技の状況や環境を把握しながら、ご自身の選手としての目標、女性としての人生目標を考えながら、やりたいことをやるのが一番なのかなと思います。

―――冒頭では、ソフトボール人口への懸念と普及への思いをお話しいただきました。2028年のロサンゼルス五輪では種目復活が決まっています。そこへ向けて、やはり活性化していきたいとの思いは強いですよね?

長﨑 そうですね。開催地がロサンゼルスということでアメリカもメダルを狙うでしょうし、日本もメダル争いには絶対に食い込んでいけるレベルなので、なんとかロス五輪までに少しでもファン層を増やし、試合観客動員数を一人でも増やしたいなと思っています。そして、それ以上に考えているは、五輪はどの競技でもそこそこ盛り上がると思うので、盛り上がったあとにどうなるかがすごく大事。その意味でも、2028年五輪はもちろん、その後まで長いスパンを考えた上で、ここ数年はさらに頑張らなければいけないなと思っています。

―――自分の心に素直で、アグレッシブに何事にも挑戦なさっている長﨑さん。今後の人生において思い描くビジョンはありますか?

長﨑 正直、できるならもうゆっくりしたいですけど(笑)でも、性格的にゆっくりしすぎてもしんどくなると思います。その上で、正直、目標はないですね。逆にいうと、目標を持たないことを目標にしてるので。というのは、目標を持って、それを叶えるまでの過程は、もう何回も経験しているので、それに疲れているんです。小さい目標を作って、それに対して「こうすればこうできる」というのは、自然と染みついてるので、「今後の」という先を見据える目標は、あえて持たないようにしようっていう感じです。

 あえていうなら、その時「楽しいな」と思うことを、後悔ないように、何でもチャレンジしようということ。そこだけは、自分の気持ちに素直にやっていきたいと思っています。

【長﨑望未プロフィール】
マルチ&ヴィクタススポーツジャパン合同会社 マーケティング担当
1992年生まれ、愛媛県出身。2011年にトヨタ自動車女子ソフトボール部(現トヨタレッドテリアーズ)に入部し、1年目にして四冠を獲得。日本代表としても活躍したが、怪我に悩まされ2020年に現役を引退。2023年からはJD.LEAGUEのブランドアンバサダーを務めており、YouTubeやアパレルブランドの立ち上げなど、多角的に活動している。

大阪生まれ東京育ち。 大東文化大学外国語学部中国語学科卒業。スポーツ紙のサッカーデータ入力アルバイト、スポーツ総合誌編集アシスタントを経てフリーライターへ。Jリーグ横浜F・マリノス、ジュビロ磐田の公式ライターとして活動したのち、2007年より東京ヴェルディに密着中。2011年からはプロ野球・埼玉西武ライオンズでも密着取材し、公式媒体や『週刊ベースボール』に寄稿中。

1991年生まれ、宮城県出身。 小学生の時にマンチェスター・ユナイテッドを心のクラブに選定。取材で、マン・C/アーセナル/チェルシーなどに携わることができたが、未だにマンチェスター・ユナイテッドからの話は無い。

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