野球・坪井俊樹さん|WBC投手を見出した大学コーチの挑戦と選手たちへの想い

2024.11.08
取材/ 大島和人
撮影/ 須田康暉

 坪井俊樹さんは「元プロ野球選手」という肩書を抜きにしても、大学球界で注目に値する成果を挙げているコーチだ。彼は千葉ロッテマリーンズで3年間の短いプロ生活を送った後、筑波大の大学院に進学。2015年に専任講師として仙台大に着任し、野球部の投手コーチとしても活動している。

 2024年の仙台大はライバルの東北福祉大を退けて、仙台六大学野球連盟の春季リーグと秋季リーグを制した。坪井コーチが指導する投手陣は渡邉一生(3年)、佐藤幻瑛(2年)、大城海翔(1年)とドラフト候補が揃い、全国トップレベルの陣容だ。2023年のワールド・ベースボール・クラシック(WBC)で活躍した宇田川優希も、坪井コーチが指導を手掛けたOBになる。

 一方で選手の全員がプロになるわけではないのが大学の運動部。社会人に進む、大学で野球を終える選手たちを導くのも大切な役割だ。

 研究者の顔も持つ坪井コーチは、選手たちをどう導いているのか?高校時代は決して全国区ではなかった投手を、どうプロ・日本代表レベルまで導いたのか? インタビュー後編ではそんな異色のコーチに指導論を聞いている。

前編はこちら

――坪井コーチは選手のスカウトにも関わってらっしゃるんですか?

坪井 はい、もちろんです。

――佐藤幻瑛投手は青森県立柏木農業高校という無名校の出身で、実は「どうやって見つけてきたのだろう?」と前から気になっていました。

坪井 彼が高校のときはまだコロナの影響があって、あまり出歩けない状況でした。そのような中で「人づての情報」は貴重です。筑波の先輩に当たる方が監督をされていて、情報をいただいたんです。夏の大会を見て、振る舞いも見て、「良い選手だ」と確認して、面談もして誘いました。

――「振る舞い」も重視されるんですね。

坪井 やはり人間性は大事です。上手くいかないときにどういう仕草をしているのか、怒っているのか、チームメイトに何かを言っているか……といった部分を見ます。あと道具を大事に扱えていないとか、そういった選手は少し残念に思ってしまいますね。

――仙台大は入学後に大きく成長した投手が多いです。コーチとして何に気を配っているのですか?

坪井 一番は「邪魔をしない」ことです、無駄なことをさせた結果、そこに労力を割いて、重要なことができないケースも実は多いと思います。「無駄な走り込み、投げ込み」はそんな例です。私が大学時代に感じたような近道、道筋さえあれば、選手自身が考えてできるはずですよね。でもゴールを違うところに定めてしまうと、上へ行かないといけないのに、横に行くようなことが起こってしまう。私もいろんな選手のパターンを見てきているので「この子はこうかな?」と探りつつ、「こうなっていこう。そのためにこうしていこう」と対話していく感じです。

――宇田川投手は無名校(埼玉県立八潮南高校)の出身で、大学時代も良いときと悪いときの波が大きいタイプでした。どういうところを評価して、どういうゴールを置いて、どんなプランで育てたんですか?

坪井 まず高校時代にキャッチボールを見たとき、「絶対獲得させてください」と惚れ込んだ選手です。身体的な強さ、四肢の強さはもう見た目で分かりました。そういう投手が割ときれいなフォームで投げていて、「これはモノが違うな」と思ったんです。帝京高校の現監督、金田優哉さんにご紹介いただきました。

――それも筑波つながりですね。

坪井 そうです。「大学で150キロはもちろん投げるし、160キロを投げるかも」と思った選手です。高校時代にあまり手をつけられていない選手でもあったので、本当に一から指導しました。野球への取り組み、フィールディングと時間を割いた選手でした。ただ彼は4年生の春にコロナ禍でリーグ戦が中止になってしまった。練習をまだしないといけない選手だったのに、それをできない状態が3ヶ月も続いてしまった。秋のシーズンも盛り返すことができず……という感じでした。(※宇田川投手はオリックス入りを果たし、WBCでは世界一も経験したが、育成ドラフト3位指名だった)

――教員としては、どういう授業をされているんですか?

坪井 運動学やコーチングをやって、実技の授業でソフトボールも持っています。ソフトボールは教職の必修になっていますので、教員免許を取りたい学生は、野球部やソフトボール部でなくてもソフトボールの実技を取らないと行けないんです。運動学も必修で、ただ学生全員が教室に入り切りません。だから前期は同じ授業を3回やりました。

――学生さんと接する部分で、プロ野球選手経験が生きたことはありましたか?

坪井 一番感じたのは、教育実習に行ったときですね。筑波大学附属駒場高校に行ったんです。

――生徒の半分が東大に行くような高校ですよね。

坪井 超進学校ですし、そうでなくとも教育実習生だとどうしても軽んじられがちですけど、自分はそれが一切なかったです。最初はデータを扱う授業をしていたんですけど、食い入るように聞いてくれました。「元プロだとそうなのか」という視線を感じて、逆にそれがプレッシャーにもなりました。勉強せず変なこと、間違ったことを言ってしまうと、「元プロ」というだけでそれが正しいと思われてしまう。元プロ野球選手だからこそ、ちゃんとしないと悪影響も強まってしまいますね。

――指導者になるための準備を積んで今のステップに来ていると思うんですけど、教員、コーチになってみて、「ここが足りなかった」という部分はありますか?

坪井 いっぱいありすぎて、ちょっと分からないです。難しいですね……。もっと論文を読む時間を作っていれば良かったという思いはあります。いろんな選手がいるので、自分の承知しているパターンから外れた選手も当然います。その子たちに対して、どのようなアプローチができたのか、後悔することが本当に多いんです。いろんなパターンを勉強しておけば、救えた選手かもしれないなという後悔が本当にあります。

――論文に「答え」はあるものですか?

坪井 そこに答えがあるかは分かりませんけど、ある可能性があるなら、見れば良かったなと思いますよね。論文の特長は主観ベースでなく、プロセスからしっかりしていて、曖昧さがなく結果まで報告されているところです。

――「救ってあげられれば」というケースで、名前の出せる選手がいれば教えてもらえますか?

坪井 宇田川がまずそうですね。明らかにポテンシャルがある選手で、2年生のときは良かったし、そのまま良い状態で行ければドラフト1位になる可能性は十分ありました。コロナがあったにせよ、つまずいたときにどうやって反発させてあげるかについて、私の知識不足・力不足だったと思います。お金に関わることが、大きなマイナスになってしまいました。

――宇田川投手は育成枠でプロ入りをしましたが、育成指名の支度金とドラフト1位の契約金は億単位の差が生まれます。

坪井 今でこそ頑張ってくれているから良いですけど、大きいですよね……。

 他にも社会人に行ってほしい選手がいるなら、普段から監督に良さをアピールしてあげないといけません。そのための伏線の張り方も、当時はまだ下手だったと思います。ぱっと見では上手くない選手でも、バッターを抑える能力がある子もいるわけです。こっちは分かっていても、そういう子を正当に評価してもらえるように、監督とチームに伝わっていないと、試合のマウンドに上げるかどうか……まで持っていけません。

――坪井さんは仙台大の教員で、野球部の投手コーチですけど、今後の目標についてはどうお考えですか?

坪井 指導者として現場に関わっているので、自分のキャリアよりまず選手・学生がより幸せになってくれたらいいなと思います。プロに行きたい子がいれば、目標を叶えてあげられるように関わります。社会人に行けるかどうかという選手がすんなり社会人に行けたら、それはそれでいいですよね。しっかり諦めさせてあげるのも、指導者の仕事です。10年後に「幸せだった」「良い選択だった」と思えるような選択肢を与えてあげることが、まさに指導者の仕事です。

――最後にネクストキャリアについて悩むアスリートの方へのメッセージ、アドバイスがあればお願いします。

坪井 「棚ぼた」という言葉がありますけど、しんどいからってベッドの上で寝ていても、棚の前には行けません。何かを探しているから、その棚に巡り合って、上から落ちてくるタイミングがあるわけです。その時々に必死に動いていれば、そういうチャンスにも巡り会えるーー。

 あと「落ちてきたものは、ちゃんと拾いましょう」と言いたいですね。チャンスがあったときは直感でも構わないので、しがみついていけばいいのではないでしょうか。

――坪井さんにとっての「棚ぼた」は何ですか?

坪井 まず大学院進学で大学の教員という選択肢が出て、タイミングもあって採用してもらえました。それはまさに「棚ぼた」だと思うんですよね。修士過程に行っていなければここにもいないですし、大学院で「大学で指導したい」っていうのを川村監督に言っていないと、つないでもらえなかった。しかるべくタイミングに、しかるべき人に相談していれば、そういったことも起こります。それは非常に重要でした。

【坪井俊樹プロフィール】
1986年生まれ 兵庫県西脇市出身
春のセンバツでベスト4入りを果たし、進学した筑波大学では大学日本代表に2度選出されるなど活躍。ドラフト4位で入団した千葉ロッテマリーンズで3年間プレーした後、筑波大学大学院に進学。そこでスポーツ科学の研究に勤しみ、指導者としての基盤を築いた。2015年に仙台大学に着任し教員と野球部コーチを務めるかたわら、博士課程で研究を続けている。

やや守備範囲が広めのスポーツライター。時にはスポーツ界の「ファウルグラウンド」まで取材のグラブを伸ばすことも。 サッカーキング、バスケットボールキング、ベースボールキングに続いて、ついにバレーボールキングへの進出も果たした。

1991年生まれ、宮城県出身。 小学生の時にマンチェスター・ユナイテッドを心のクラブに選定。取材で、マン・C/アーセナル/チェルシーなどに携わることができたが、未だにマンチェスター・ユナイテッドからの話は無い。

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