競輪・原大智さん|モーグル五輪メダリストの「競技転向」というキャリア選択<前編>

2024.11.20
取材/ 平野貴也
撮影/ 須田康暉

 世界の頂点を争った競技者が、まったく別分野の競技に身を移し、第二のアスリート人生を歩んでいる。原大智選手は、フリースタイルスキーの選手だった。斜面に設けられた雪のコブを小さく素早いターンで滑り抜け、ジャンプ台で空中技を披露するモーグル種目で活躍。2018年の平昌冬季五輪で、フリースタイルスキー日本男子初となる銅メダルを獲得した。19年にも世界選手権で銅メダルを獲得するなど活躍を続けたが、日本競輪学校(現:日本競輪選手養成所)の特別選抜入学試験で12年ぶり8人目の合格者となり、20年からは選手登録を行い、競輪の世界にも身を置くようになった。モーグルで活躍する中で、なぜ、どのように次の道を考えたのか、話を聞いた。

――モーグルを始めたのは、小学6年生の頃とのことですが、どのように熱中していったのですか?

 親がアウトドア派だったので、夏は海に行くとか、冬はスキーをやるとか、運動をする機会は多かったです。スキー自体はそんなに好きではなかったのですが、いろいろなスキー場に連れて行ってもらった中に、モーグルのコースがありました。やってみると、コブを滑ったり、ジャンプで跳ぶのが楽しかったです。

[写真]=ご本人より提供 一番左が原選手

――当時の夢は?

 多分ですけど、五輪を見たのが小学校の低学年の頃のアテネ大会(2004年)。競泳の北島康介さんや、陸上競技の室伏広治さんたちが活躍しているのを見て、どの競技とか、誰に憧れたというのではなく、五輪という舞台で金メダルを取りたい、ああいう人になりたいという思いを持つようになっていました。モーグルを楽しいと思ったときに、この競技が五輪で採用されていることを知って、金メダルを目指すと決めました。

――モーグル選手引退後のことを考えたのは、いつ頃ですか?

 周りの大人から「競技生活よりも、その後の人生の方が長い」と言われて、頭の片隅にはありましたけど、高校生まではまったく考えていませんでした。当時は「五輪の金メダルが人生のすべて、金メダルを取らなければ自分には何も意味がない、これが自分が生まれてきた意味、人生のすべてだ」という思いだったからです。

 ただ、五輪で金メダルを取っても、そこで人生が終わるわけではありません。その後の人生を生きるには、仕事が必要だとは思っていたので、何が自分に合っているのかなと、何となくは気にしていました。

 そんなときに、トレーナーさんから「今まで体を生かしてやって来たのだから、競技の仕事が向いているんじゃないか」と言われて、競輪を紹介してもらい、自分に一番合っていると思うようになりました。

――ただ、トレーナーさんに競輪を勧められたのは、2014年頃。まだモーグルで夢に向かっている最中ですよね

 はい。小学生からモーグルをやって来て、それでも、ようやく世界で戦えているレベル。別の競技にポンと入ってうまくいくような甘い世界ではないと思っていたので、競輪の話は最初は冗談かなと思っていました。競輪への挑戦を考えたのは、2018年の平昌冬季五輪の前に、挫折を経験した時でした。五輪の数カ月前にも関わらず、国際大会で成績が上がらず、自分が立てたプランがまったく上手く進んでいませんでした。もう金メダルはダメかもしれないと心が折れかけて、モーグルでの挑戦はこれで最後にしようと思い、その後をどうしようかと考え始めました。

――ところが、平昌大会ではフリースタイルスキーで日本男子初となる銅メダル。どう立て直したのですか

 気持ちの切り替えが上手くいったというか、吹っ切れました。元々、金メダルをずっと期待されてきた選手ではありません。よくここまで頑張ったな、五輪に出られるだけでもすごい。少しは、自分の目標は達成されたんじゃないかと思い始めたら、五輪なんて最初で最後かもしれないから、楽しまなければ損だと思いました。五輪は「平和の祭典」と言われていますよね。競技大会じゃなくてお祭り、みんなで楽しむイベントだと思ったら、本番では想像以上のパフォーマンスを発揮できました。金メダルは無理かと諦めず、藁にもすがる思いで頑張り続けていたらもっと良い結果だったかもしれませんし、ずっと緊張したままでうまくいかなかったかもしれません。

――銅メダルの価値は、どう感じましたか?

 すごく苦しかったので、今までの苦労が報われたというか、頑張ってよかったなという瞬間でした。金メダルではなかったので100%の目標達成ではなくて70%くらいですけど、五輪のメダルを取れたことは、今までで一番うれしかったです。

――翌年の2019年に競輪学校に入校して競輪選手を目指す中で、モーグルも続ける二刀流の挑戦が話題になりました

 平昌冬季五輪でモーグルは辞めようかと思っていたくらいだったので、競輪にシフトするならこのタイミングが良いと思いました。若い時期に転向して良かったと思います。競輪は、競輪学校に入らないといけませんし、昔からのしきたりのある世界。同期で30代になってから競輪の世界に入ってきた選手も知っていますけど、自分自身は30歳から競輪選手になろうとは、まったく思えないです。あの生活には耐えられません(苦笑)。

 ただ、モーグルも銅メダルを獲得できたので、まだ続けられそうだなという感覚もあり、両方やってみてもいいんじゃないかと思いました。五輪のメダルを獲得すると、周囲の見る目は大きく変わります。2つの競技を並行して取り組むことについても、多少の融通が利くようになっていたからできた部分があるので、メダルによって話題性がある状況だから可能だった面もありました。

――ただ、両方の競技で同時にトップを目指す挑戦は、過酷でしたよね

 なんで、こんなことを始めたのかと思いました(笑)。でも、一度始めたことを途中でやめるのは、格好悪いと思いました。五輪のメダルを取れば、良くも悪くも目立ちます。反応も大きくなります。特に、自分に対してよく思わない人の意見が目についてしまいます。無理に決まっているという意見もありましたが、それを黙らせたいと強く思うようになりました。「こういう道もあるんだ。あなたたちに、同じことができるのか? 見てろよ!」という気持ちが、すごくありました。

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【原大智プロフィール】
1997年3月4日生まれ 東京都渋谷区出身
小学6年生の時に競技として本格的にモーグルを始め、16歳からカナダへのスキー留学を経験。帰国後にモーグル日本代表入りを果たし、2017年冬季アジア大会で準優勝・2018年平昌オリンピックにて銅メダルを獲得した。冬季五輪におけるフリースタイルスキー競技の男子種目にて日本人選手として初めて表彰台に立った選手として話題となった。
その後、日本競輪選手養成所に入学・卒業をし、2020年5月からプロ競輪選手としてデビュー。モーグルと競輪の二刀流選手として、2022年には北京オリンピックに出場し7位入賞を果たした。競輪選手としては、2024年7月に競輪選手の上位30%に当たるS級に昇格している。

取材/平野貴也

スポーツ総合サイト「スポーツナビ」の編集記者を経て2008年からフリーライターとなる。サッカーやバドミントンを中心にスポーツ全般を取材。育成年代やマイナー競技の大会取材も多い。

1991年生まれ、宮城県出身。 小学生の時にマンチェスター・ユナイテッドを心のクラブに選定。取材で、マン・C/アーセナル/チェルシーなどに携わることができたが、未だにマンチェスター・ユナイテッドからの話は無い。

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