競輪・原大智さん|モーグル五輪メダリストの「競技転向」というキャリア選択<後編>

2024.11.21
取材/ 平野貴也
撮影/ 須田康暉

 フリースタイルのモーグルで2018年平昌冬季五輪の銅メダルを獲得した原大智選手は、翌年に日本競輪学校(現:日本競輪選手養成所)に入校し、20年から競輪選手としても活動。二刀流の挑戦を続け、モーグルは2022年の北京冬季五輪に出場した後に引退。その後は競輪で頭角を現し、24年7月には上位3割の選手しかなれないS級に昇格した。競輪学校の卒業試験に苦しんだスタートから、いかにして第二の競技の成功まで駆け上がったのか。セカンドキャリアの歩み方について、どう考えているのか、話を聞いた。

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――競輪学校では、最初は卒業テストで規定タイムをクリアできずに不合格になってしまうなど、苦労もされましたよね。

 今の状況まで来るのに、めちゃくちゃ頑張ったなと自分でも思っています。スキーをやっていたことで、身体の土台はあったかもしれませんが、身体の動かし方などで共通する部分は、ほとんどありませんでした。少し練習をするだけで好成績を残せる選手もいて「もっと自分に才能があれば」と何度も思いました。でも、才能があって練習も頑張っている選手は本当にトップにいるけど、才能があって練習が足りない選手は、そこには届いていないという印象があります。だから、練習を頑張れば勝てる部分はあると思っています。

――目標に対してどう頑張るかは、モーグルと変わらないですか?

 変わらないです。モーグルの時も、才能があればと思っていましたし、才能があったら金メダルを取れたかもしれません。子どもの頃は、すぐにナショナルチームに入ってワールドカップに出場して、五輪金メダルを取るんだと簡単に思っていましたけど、経験を積めば積むほど、頑張っても達成できないかもしれないという気持ちが出てきます。

 でも、2つの競技をやって分かったことは、結局、とにかく頑張らないと良いことはないということ(笑)。僕は、自分がやると決めたら、これ以外は自分にはないと、生きる意味を置いてしまいます。だから、苦しいときも、一度距離を置くことはあっても、目標に届くまで頑張らないと、何も残らないという気持ちになります。報われないかもしれないけど、その向こう側にいいことがあるかもしれないと信じて、やるしかありません。

――一つのことに全力で打ち込む考え方ですが、その割に、キャリアの歩み方を見ると、競技以外に仕事が必要ではないかと考えるなど、客観的に自己分析をしているようにも感じます。競輪を仕事として選ぶとき、どの程度調べましたか?

 競輪は、自分の身体一つで稼げることと、選手生命が長いことが仕事として魅力的な部分だと思います。自分次第で収入が変わる点は、自分に向いているとも思いました。ただ、当時はお金をもらって競技ができるというくらいの認識。今は家族を持つようになりましたし、学生の頃には分からなかった、お金を稼ぐことの大変さが分かって来ています。だから、今ほどこの仕事の恵まれている点には気付けていなかったと思います。僕は、たまたま親身に競輪の道に誘ってくれる人がいたから、ちゃんと競輪という仕事に就けましたけど、そういう人が身近にいるかどうかは大事だと思います。

 僕は、アスリートのセカンドキャリアと聞くと、ニュースになるような罪を犯してしまった事件を思い浮かべてしまいます。成功体験を失敗に導いてしまう人たちも世の中にはいるんだなと思いましたし、気をつけようと思っていました。僕は、モーグル時代は五輪のことしか考えていなかったので、怪しい話に流されずに済みました。アスリートとしてある程度の結果が出ると、それを利用しようとする人たちも現れます。そういう意味でも、無知は良くないと思います。

――若いアスリートは、一つの狭い競技の世界しか知らず、人任せにして失敗するケースが珍しくありません。どのように、自分で調べ、考え、判断する感覚を身につけましたか

 多分、高校のときのカナダ留学が良い経験になっていると思います。スキーを上手くなりたい気持ちだけで行ったのですけどね。日本は、周りで困っていそうな人がいたら声をかけてあげる人が多いと思いますが、海外では自分がどういう状況で何をしたいか伝えなければ手伝ってもらえません。だから、周りのことを知ろうとする、自分から行動する、自分の意思をハッキリ伝えるということは身についたと思います。

――セカンドキャリアを考える点で、若い選手に助言できることは?

 競技をやっているうちは、目標を達成するまで集中して良いと思います。僕自身、今は40歳を過ぎるまで現役でいたいと思っていますし、その先のことは、まったく考えていません。次のことを考えるのは、実際に競技を終える2、3年前で良いのではないかと思います。その頃の社会情勢がどうなっているか。時代が変わっているかもしれません。競技者の期間に、気をつけるべきことがあるとすれば、世界情勢を把握しておくことじゃないでしょうか。いろいろな情報に触れるうちに、ある程度の教養は持てるのではないかと思います。

――情報に触れて学ぶ姿勢が自然にできているのだと思いますが、新しい分野との接点を持つのが苦手な若い選手は多いです。

 最近だと『地面師たち』という実際に起きた詐欺事件を題材にした映画が話題になりましたけど、僕は、実話を元にしたエンタメ作品が好きです。そういうのを見ながら、世の中には、こう考える人もいるんだなと、手がかりを知っていくことは大事かなと思います。楽しんで見ているだけですけど、触れやすいところかなとは思います。

――競技に一途に打ち込みながら、自然体でアンテナを張って考える材料にしているのですね。今は、競輪の世界では、どのような目標を立てて進んでいますか。最後に、今後に向けた意気込みを聞かせてください

 競輪を始めたときに、まずGI戦線に出るという目標を一番上に置いて、そのためにS級になることを目指しました。だから、S級に行けてホッとしました。ただ、S級になると、相手のレベルが高くて、まだS級で評価点を取れていません。S級で戦える戦法や脚質を整えなければいけないと感じています。S級に定着したいですし、S級になれても勝てていないので、勝てる選手になりたいです。

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取材のため普段トレーニングをされている自転車競技場にお伺いしました。

【原大智プロフィール】
1997年3月4日生まれ 東京都渋谷区出身
小学6年生の時に競技として本格的にモーグルを始め、16歳からカナダへのスキー留学を経験。帰国後にモーグル日本代表入りを果たし、2017年冬季アジア大会で準優勝・2018年平昌オリンピックにて銅メダルを獲得した。冬季五輪におけるフリースタイルスキー競技の男子種目にて日本人選手として初めて表彰台に立った選手として話題となった。
その後、日本競輪選手養成所に入学・卒業をし、2020年5月からプロ競輪選手としてデビュー。モーグルと競輪の二刀流選手として、2022年には北京オリンピックに出場し7位入賞を果たした。競輪選手としては、2024年7月に競輪選手の上位30%に当たるS級に昇格している。

取材/平野貴也

スポーツ総合サイト「スポーツナビ」の編集記者を経て2008年からフリーライターとなる。サッカーやバドミントンを中心にスポーツ全般を取材。育成年代やマイナー競技の大会取材も多い。

1991年生まれ、宮城県出身。 小学生の時にマンチェスター・ユナイテッドを心のクラブに選定。取材で、マン・C/アーセナル/チェルシーなどに携わることができたが、未だにマンチェスター・ユナイテッドからの話は無い。

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