バスケットボール・正中岳城さん|生粋のキャプテンキャラが企業人として成長中<後編>

2024.11.26
取材/ 入江美紀雄
撮影/ 須田康暉

 本格的なプロリーグとして2016年に立ち上がったBリーグは毎年着実に成長を遂げ、2023年に沖縄で開催されたFIBAワールドカップでの日本代表チームの活躍を起爆剤に、一般のファンをも巻き込んだブームを起こしたとも言えるだろう。

 ただ、正中岳城さんはプロの道を選ばず、アマチュア契約を改めて結んでアルバルク東京でプレーを続けていた。とはいえ、正中さんも他のプロ契約を結んだ選手たちと同じように、1日のすべてをバスケットボール中心とする生活に身を置く。それでもトヨタ自動車からの出向の立場でプレーに専念した。

 2020年に現役を引退すると、Bリーグ開幕前に所属していたアルバルク東京の親会社でもあるトヨタ自動車に籍を戻してサラリーマン生活を再開させた。そして今年の9月からアルバルク東京の運営会社であるトヨタアルバルク東京へ再び出向。今度はクラブの一員 として業務にあたり、肩書は「アルバルク事業部副部長」。

 インタビューの後編ではどの部署に配属されても変わらない業務に対する向き合い方、そして将来への展望をうかがっていく。

前編はこちら

伝説のスピーチは特に台本もなく、自身の言葉を紡いだもの

――Bリーグの開幕戦のカードにアルバルク東京と琉球ゴールデンキングスが選ばれました。

正中 いろんな思いがたくさん包含されたリーグが立ち上がり、競技者の一人として、あの舞台に立てるということは望んでも叶わないこともあるので、歓迎していたところはありました。ただ、インパクトのある内容をお届けしないといけないとか、実業団リーグに系譜を継ぐクラブとしてのプライドを示したいなど、勝つことへのプレッシャーを大いに感じていたのは事実です。

――Bリーグの開幕戦と言えば、正中さんのスピーチが思い出されます。素晴らしい言葉で綴られていましたが、台本があったのですか?

正中 あのようなスポットライトを浴びたセレモニーの仕立てで、マイクの前に立つという詳細までは聞いていませんでした。ただ、「あるかもな」とも思っていたので、言うべきことは整理していこうと準備はしていましたが、台本はありません。ただ、あの演出の中で行ったわけですから、準備しておいてよかったとも思いました(笑)。

[写真]=アルバルク東京より提供 B.LEAGUE開幕戦での印象的なスピーチ

――Bリーグ開幕前、トヨタ自動車アルバルクは実業団チームであり、所属する選手はアマチュアに区分されていました。それが、Bリーグがスタートする際、参加チーム、そこに所属する選手はプロになります。正社員としてプレーしていた正中さんは自分の身の振り方をどうしようと考えましたか。実業団でプレーしていた選手の中にはプロになるか、どうするかを悩んでいた人もいたと聞きます。

正中 特に悩みはありませんでした。Bリーグの発足とともに用意されていた規約には、アマチュア選手としてプレーすることが許されていました。さらに会社がその立場になることを認めてくれたので、アルバルク東京に出向できたわけです。そして、他のプロ選手と一緒にプロリーグでプレーができたわけですから。

――いまだアルバルク東京以外のクラブが達成していないリーグ連覇という輝かしい記録を残して正中さんは2020年に引退されます。そのままチームに残る選択はなかったのですか。

正中 私がBリーグでプレーした4年間に多くのものがアップデートされました。チームスタッフやフロントスタッフもそれぞれプロフェッショナルな方が関わるようになり、クラブは徐々に筋肉質になっていく過程にあったと思います。私は復職することを選択しましたが、どちらにせよインプットしなければいけないことはたくさんあり、キャリアを重ねていかなければいけないわけです。ただ、復職して学んだことを何年か先のアルバルクのクラブのために、何らかのかたちで活かせるような道があると良いなと、再びクラブに関われることへの期待も込めて、おぼろげに思っていました。

[写真]=アルバルク東京より提供 B.LEAGUE FINAL 2018-19で勝利し史上初の連覇を達成

チームスポーツの選手と企業で働く人間の共通点

――引退後の異動先の部署はどちらですか?

正中 渉外広報本部です。コーポレートとしての正しい情報を世の中に発信していくことが大きなミッションになり、扱う内容は当然、スポーツに限りません。むしろ、関係ないものの方が多く、経営方針や脱炭素・電動化への取り組み、商品や技術発表など、世の中の動向も捉えながら、正しい社内状況を発信していくことがメインとなります。広く社内情報も集まってくる部署になるので、社内調整やスケジュールの整理なども重要な業務になってきます。

――バスケ選手からいわゆるサラリーマンになったわけですが、戸惑いはなかったのですか。

正中 特にはありませんでした。実業団時代には、リーグ戦の期間でも継続的に出社していた時期もあり、オフ期間の3~4か月はまとまって出社して業務についていましたし、それが入社からBリーグ開幕までの9年間続きました。ただ、何か実績を残したというわけではなく、それなりの顔をして机にいたというのが正直なところですが(笑)。

 入社後の全体研修も受けていますし、以降の研修履修のタイミングでも受講もしており、配属部署でも業務を学ぶ機会もありました。ですので、現役を引退してセカンドキャリアに向かうというよりも、元々社員として働いていて違う部署に異動したというイメージでしたね。

――確かに正中さんの場合はセカンドキャリアではないですよね。それでもアスリートとして、日本のトップリーグでプレーをしてきた経験は、今後の業務に活かされると思いますか?

正中 私は個人種目ではなく、バスケットボールというチームスポーツをプレーしていました。バスケットボールの選手は所属するクラブがあって初めて成り立つもので、その組織の中で自分が果たすべく役割や求められることが付与されます。そこで自分でそれらを理解し、役割を果たすために取り組むことで成長をしていくプロセスもあります。自分のやりたいことを見つけて自分の能力やすべきことを、バランス感を持ってチャレンジして成長していくことは一般企業でも同じだと思います。

――そして、今年の9月にアルバルク東京に戻ってきました。ただし、これも社内の異動のようですね。

正中 はい。籍はトヨタ自動車にあり、今回、再度アルバルク東京に出向という形になります。クラブに関わる業務ですが、これまでの自分の経験で全ての仕事ができるとは思っていません。今後も大量で多様なインプットに努めなければならないと思っています。今回は特にこれをするということは決まっていないのですが、現在、事業に関わる営業やマーケティング、運営・興行演出などの現場の実務を学ぶために各部署を回っている段階で、クラブの広報についても携わるかもしれません。

――10年後は何をされているのでしょう。イメージできますか?

正中 ちょうど50歳になっているころですね。全く違う仕事をしているのかもしれないし、バスケットボールに関わる仕事をしているかもしれませんね。ただ何をするにしても、自分のやるべきことに対して、しっかりと向き合う姿勢は崩したくないですね。何をインプットすべきか、何を学ばなければいけないかということをフラットな気持ちで見ていたいと思います。

【正中岳城プロフィール】
トヨタアルバルク東京株式会社 アルバルク事業部副部長 小学校5年生から本格的にバスケットボールを始め、県立明石高校から青山学院大学に進み、トヨタ自動車アルバルク(現アルバルク東京)に入団。社員選手、アマチュア選手として2020年の引退までキャリアを全うした。現役引退後はトヨタ自動車に復職。渉外広報本部に配属され、企業情報のリリース発信や広報対応などの業務を担当。さらに24年9月よりアルバルク東京に再度出向し、アルバルク事業部副部長として、クラブ運営全般を勉強中。

バスケットボールキング編集部。

1991年生まれ、宮城県出身。 小学生の時にマンチェスター・ユナイテッドを心のクラブに選定。取材で、マン・C/アーセナル/チェルシーなどに携わることができたが、未だにマンチェスター・ユナイテッドからの話は無い。

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