サッカー・小泉勇人さん|“自炊”が変えた現役生活と引退への覚悟 新たなピッチで躍動する元GKのリアル

2025.02.19
取材/ 上岡真里江
撮影/ 須田康暉

 2022年シーズン限りでプロサッカー選手を引退して以降、料理研究家、栄養士、アスリートフードアドバイザー、カラーコーディネイター、会社経営など、いくつもの顔を持ち、次々と活躍の場を広げている小泉勇人さん。

 アスリートにとっても大きな影響があったコロナ禍での生活と、自身がコロナに罹患したことを機に、自らの存在価値を自問自答し突き詰めたことで新たな道を見出した。そしていま、起業家としての才能を花開かせている。

 インタビュー前編では、「引退」が常に付きまとい不安な思いを抱えた現役生活や、自炊をはじめとした食への関心の高まりについて語ってもらった。

――さまざまな分野でご活躍ですが、あらためて自炊や料理に関する発信に興味を持ったきっかけとは?

小泉 コロナ禍であまり外出できないときに自炊を始めたのですが、正直、僕はあまり自炊が好きではありませんでした。最初は、ただ単に、外出禁止の時間のなかでも現役生活をより良くするために自分にできることをきちんとやらなければいけないと考えたときに、トレーニングなどにすごくお金をかけたりしていたんです。でも、良く変わった部分もあれば、あまり効果が得られない部分もあって。どうしても、指導方法やトレーニング方法というのは、自分の体の状態も含めて、合っている、合ってないというのは人それぞれ違ったりするんですよね。

 でも、食事や栄養というのは、体に良いものというはわかるわけであって、この基本をしっかりやっていれば、ある程度体調が良くなっていくというのをすごく感じたのが、興味を持ったきっかけでした。アスリートとして基盤の底上げ、常に体調が良い状態にしておくことができれば、トレーニングの効果も最大化できますし、普段と同じトレーニングをしても、より良く変わっていくなということが実感できたのが大きかったです。そこで自分の個人アカウントとは別のSNSアカウントを作って、発信し始めたというのがスタートでした。  興味を持ったことをきっかけに、そこから一年ぐらいの間に10種類ぐらいの資格を取って、その知識をもとに、現役のJリーガーが自炊して、食や栄養を発信しているというのが世間的には受けて、バズったというのが最初の経緯ですね。

――自炊によって、明らかに良い効果が得られていると実感なさったのは、どのぐらいのタイミングだったのですか?

小泉 始めて2〜3週ぐらいですかね。1ヶ月後には、確実に変わりました。体調の波がなくなったのと、メンタル的にも安定しました。体調が悪かったり眠かったりすると、メンタルが安定していないので、それが結構プレーにも出てしまうんですよ。それに、自分の心に余裕がない状態だと、人に優しくできなくなったりなど、対人関係にも悪影響を及ぼしてしまうこともあったり。でも、毎日きちんと心も体も元気でいられれば、気分も上がるし、モチベーションも上がる、人に対しても優しくできる。すべてが栄養から繋がって、自分の生活環境やいろいろなところにうまく生かすことができるのってすごく大事なことだなと、あらためて思えました。

――メンタルの安定の重要性をお話しくださいましたが、小泉さんはプロサッカー選手の現役時代はゴールキーパーという、1チームで1人しか試合に出られない難しいポジションで勝負なさっていました。強豪・鹿島アントラーズの下部組織から高卒でトップチームへの昇格を果たしつつも、なかなかチャンスが巡ってこないなかで、どのような精神状態で日々取り組んでいらっしゃったのですか?

小泉 ずっと苦しかったですね。プロ入りして3〜4年目ぐらいから毎年、常に「もう辞めよう」とか、引退の可能性をずっと考えていました。実際に4年目(2017年)のシーズン途中から期限付き移籍をすることになって以後は単年契約だったので、常に引退がつきまとっている状態です。毎年「結果が残せていないから、次に契約してくれるチームがなければ引退をするかもしれない」という状態でした。

――そうした危機感を常に抱えていたなかで、一番の支えとなっていたものとは?

小泉 僕のアイデンティティとして、『どれだけ辛かろうが痛かろうが、練習だけは絶対に休まない』ということだけは、中学生の頃からずっと決めていたんです。プロになってからも練習には常に出て100%でやるということだけは貫き通しました。というのも、試合に出ていない時間が多すぎて(プロ9年間中出場13試合)、何か目標がないと頑張れないわけですよ。どれだけ練習しても、「今週めっちゃ調子良かった。チームの結果も悪いから、メンバー入れ替えのチャンスがあるんじゃないか」という期待を持っても、それをことごとく毎週毎週打ち砕かれ続けてきたので。それでもやっぱり諦めてしまったり腐ってしまうと、それでおしまい。そのなかでモチベーションを保ち続けるためには、試合出場とは別の目標がないと頑張れませんでしたね。

――引退決断の決め手となったものは?

小泉 それがないんですよ。本当に朝起きて急に「あ、もう辞めよう」と思ったんです。2023年2月14日の朝でした。今でもはっきり憶えています。正直、J3やJFL、J2のチームからもオファーはありました。ただ、条件がそんなに良くなかったということもあって、迷って、迷って、迷って…… 結局、辞める決断をしました。

――いきなり収入がゼロになることへ不安などはなかったのですか?

小泉 収入はゼロになるけど、SNSのフォロワーさんもたくさんついてきていましたし、本の出版のお話もいただいていたりと、ある程度の収入になるなというのはわかっていたので、漠然と「辞めても大丈夫だ」というのはありました。

 ただ、何をやるかは明確には決まっていなかったので、オンラインサロンをやったり、エプロンを作って販売したり、大きなキャリーバックを2〜3個持って、調味料も保冷バックで持って行って、全国を回って料理教室をやったり、まずは全国の応援してくれたサポーターの方々やフォロワーの皆さんに会いに行って、引退報告と感謝の気持ちを伝えに飛び回りました。そこから、貯まったお金で食器やカトラリーなどを作って、ポップアップショップをやったりしていったのがスタートでした。

後編はこちら

【小泉勇人プロフィール】
茨城県神栖市出身 1995年生まれ
鹿島アントラーズジュニアユースからユースを経て、期待の高卒GKとしてトップ昇格。しかし出場機会に恵まれず、J2、J3の複数クラブで計9シーズンプレーしたが、2022シーズン終了後に引退。 現役時代に始めた食に関するSNS(X、TikTok、Instagramなど)が人気となり、現在では総フォロワー35万人を突破。元Jリーガーという目線から、健康志向の高いメニューを中心にした4冊のレシピ本を出版している。
各種SNS:https://lit.link/yutokoizumi

大阪生まれ東京育ち。 大東文化大学外国語学部中国語学科卒業。スポーツ紙のサッカーデータ入力アルバイト、スポーツ総合誌編集アシスタントを経てフリーライターへ。Jリーグ横浜F・マリノス、ジュビロ磐田の公式ライターとして活動したのち、2007年より東京ヴェルディに密着中。2011年からはプロ野球・埼玉西武ライオンズでも密着取材し、公式媒体や『週刊ベースボール』に寄稿中。

1991年生まれ、宮城県出身。 小学生の時にマンチェスター・ユナイテッドを心のクラブに選定。取材で、マン・C/アーセナル/チェルシーなどに携わることができたが、未だにマンチェスター・ユナイテッドからの話は無い。

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