サッカー・小泉勇人さん|現役時代よりも輝ける今でありたい トップにはなれない大多数のアスリートのロールモデルに

2025.02.20
取材/ 上岡真里江
撮影/ 須田康暉

 育成からの生え抜きGKとして所属した鹿島アントラーズや水戸ホーリーホック、ヴァンフォーレ甲府などでプレーした小泉勇人さん。プロキャリア9年間での試合出場は13試合と、苦しい時間の多かったプロサッカー選手が次のキャリアとして選択したのは「料理」の道だった。

 ただ、その決断の裏には誰もが予想できなかった出来事があった。コロナ禍での罹患——それが小泉さんにとってキャリアを見つめ直すきっかけになったという。アスリートとしての人生を振り返り、どんな思いで次のステージへと進んだのか。そして今、彼が見据えている未来とは。

 インタビュー後編では、小泉さんが引退を決意した瞬間や、その裏にあった葛藤、そして新たなキャリアに懸ける想いを語ってもらった。

前編はこちら

――今になって振り返ると、そこまで潔く辞める決断ができた要因はどこにあったと思われますか?

小泉 2022シーズンのあたまにコロナに罹ったことが、人生を変えた一番のタイミングだったと思います。最初に話したように、2020年のコロナ禍で食に興味をもち、2021年に資格を取って、ちょっとずつ発信し始めるようになりました。その一年間、心身ともに充実したなかでトレーニングを積んできて、2022年シーズンはすごく良い状態でキャンプ入れていたんです。なのに、開幕直前でコロナになってしまったんです。もちろん、罹らなかったら先発として出られたかどうかはわかりませんが、ある意味、集大成として勝負できるなと思っていた矢先の罹患だったので、正直、萎えたというか、「これだけ頑張ってきたのに、何やってきたんだ?」みたいな気持ちになったんですよね。その時に「気持ちを切り替えなきゃな」と思って、もう少し発信の頻度を高めることにしました。

 隔離期間中にリビングもキッチンも、家ごと全部DIYして、家電なども全部買い替えて。復帰してからは、その新しい環境で発信をやるようになったという感じです。なので、たぶんコロナになっていなければ、今の自分にはなっていないと思います。ああいうどん底の経験があったときに、人って腹をくくるんじゃないかなと。そこで初めて気づくことがある。そう考えると、挫折などは早いうちにたくさん経験した方がいいなというのは、すごく思いますね。

――挫折からの大逆転ですね。

小泉 でも、これがプラスかどうかというのは正直わからなくて。結果論、今がこういう状況だから、もしかしたらプラスだったかもしれない。でも、もしあの時にコロナに罹っていなければ、サッカー選手としてもう少し活躍できたかもしれない。こればっかりはわからないですね。

 ただ、何があったとしても「正解だった」と思える人生にしたいなとは思っています。それこそが「常に今を全力で生きる」ということに繋がってくる。今、現役時代よりも収入がだいぶ増えましたが、それはやっぱり、あの時にあれだけ突き詰めたからだと思います。チームとは別で個人でトレーニングや治療にもお金をかけましたし、資格を取って、栄養学や心理学を勉強して、それを発信に変えていったからこそ、すべてが今のキャリアに繋がっていると感じます。なので引退は全然ネガティブなことじゃない。ただの新しいスタートだと捉えてもらえると、すごくいいかなと思います。

――プロサッカー選手は十分やりきりましたか?

小泉 後悔はあります。人生をかけてサッカーをやってきたので、当然もっと試合に出たかったです。ただ、だからこそ逆に、引退した後のキャリアが現役時代以上に輝けるものでありたいですし、その姿を見せていくことが、今後のスポーツ界にとってもいいことだと思っています。

 大谷翔平選手や三苫薫選手のようにトップ中のトップまで突き抜ければ、引退後もいろいろと道があると思いますが、そうじゃない選手が大多数なわけです。その大多数の選手たちの活躍の場が果たしてどこにあるのか。僕自身がそういうロールモデルになれれば、もちろん自分自身もいいですし、今頑張っているアスリートや、これからスポーツ選手を目指していくお子さんを抱える親御さんにとっても参考になるのかなと思うんですよね。

 例えば、高卒でプロに行くか、大学進学かを迷う選手も少なくないと思います。それはやっぱり将来の不安が大きな原因だからです。「大卒でJ3のクラブに行くぐらいだったら、良い大学に行けば商社や銀行などの大手に就職できるからそっちに行こう」という選択をする人も多い。そうじゃない選択をする人たちを増やすためには、僕みたいな元Jリーガーや元プロ野球選手、元アスリートの人が会社をいくつも経営してたり、発信したりでもいいですし、社会貢献活動の第一人者になっていたり、アーティストになってもいい。どんな形でもいいと思うのですが、引退後のキャリアがいいものであるという提示がたくさんできれば、「スポーツ選手になったら、良い大学に行くよりも、もっともっといい未来が待ってるんじゃないか」と思われると思うんですよ。そうすれば、もっともっとそこにお金も時間も投下するし、スポーツの市場が大きくなるし、日本のスポーツ自体の競技人口も増えて、レベルも上がってくんじゃないかなと、僕は考えています。

――視野の広い小泉さん。ぜひ、思い描いているご自身の今後のビジョンを聞かせてください。

小泉 今話した通り、まずはアスリートの現役引退後のロールモデルになりたい。「引退した選手で活躍してる人といったらこの人だよね」と名前が挙がる存在になりたいです。あとは、会社のバイアウト(売却)とか、例えば店舗を出してフランチャイズ展開したいとか、上場を目指したいなど、今までやってこれなかったことを達成できるようになっていけたらいいかなとも思います。

 そして、これからのアスリートのサポート。プラスアルファで言うと、食事を通して子供たちの可能性の最大化ですね。親の教育、親の食生活など、リテラシーの差によって脳機能や身体機能に差が出てしまう可能性もあるわけです。なので、子供たちのもつ可能性をきちんと引き出してあげられるような、情報のリテラシーの底上げ、教育の部分を動かしていきたいです。そのためにも、この一年間はとにかく今の基盤作りを固めることが大事かなと思っています。  人間というのは、同じ思いを共感して一緒に頑張れたり、仲間から応援されたりすると嬉しいものです。僕も、人から必要とされることがすごく嬉しいですし、それが幸せなので、これからも自分の発信によって、たくさんの人が喜んでくれたらと思います。

【小泉勇人プロフィール】
茨城県神栖市出身 1995年生まれ
鹿島アントラーズジュニアユースからユースを経て、期待の高卒GKとしてトップ昇格。しかし出場機会に恵まれず、J2、J3の複数クラブで計9シーズンプレーしたが、2022シーズン終了後に引退。

現役時代に始めた食に関するSNS(X、TikTok、Instagramなど)が人気となり、現在では総フォロワー35万人を突破。元Jリーガーという目線から、健康志向の高いメニューを中心にした4冊のレシピ本を出版している。
各種SNS:https://lit.link/yutokoizumi

大阪生まれ東京育ち。 大東文化大学外国語学部中国語学科卒業。スポーツ紙のサッカーデータ入力アルバイト、スポーツ総合誌編集アシスタントを経てフリーライターへ。Jリーグ横浜F・マリノス、ジュビロ磐田の公式ライターとして活動したのち、2007年より東京ヴェルディに密着中。2011年からはプロ野球・埼玉西武ライオンズでも密着取材し、公式媒体や『週刊ベースボール』に寄稿中。

1991年生まれ、宮城県出身。 小学生の時にマンチェスター・ユナイテッドを心のクラブに選定。取材で、マン・C/アーセナル/チェルシーなどに携わることができたが、未だにマンチェスター・ユナイテッドからの話は無い。

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