アメリカンフットボール・鈴木將一郎さん|「やったと思える自分でいること」 競技も仕事も貫いたレジェンドの信念

2025.03.11
取材/ 平野貴也
撮影/ 野口岳彦

 最初から大きな夢を描いて進むのは、一つの歩み方だ。しかし、人生の歩み方は人それぞれ。高校から始めたアメリカンフットボールを長く続け、35歳で初めて日本一に輝いた経験を持つ鈴木將一郎さんは、自身が期待を受ける場で責任感を持つことで、高みにたどり着いた元アスリート。

 最もこだわったのは、組織としての改善方法だけでなく、置かれた環境で自分がやるべきことを見つめ、取り組むことだという。インタビュー後編では、仕事にも生きたそのこだわりについて話を聞いた。

前編はこちら

――2020年度で引退されましたが、競技生活が自分に与えてくれたものは、何でしょうか?

鈴木 自分が競技に向き合ったことで得たものと、付帯的に付いてきたものがあると思いますが、実感しているのは、後者です。仕事は24年度いっぱいまで営業職でやってきましたが、競技を通じて知り合った方々の人脈が、いろいろな場で役に立っています。競技を続けてきたことで、部署を越えた社内のネットワークが構築されましたし、社外にも競技関係の知り合いがいて、人を紹介してもらうこともあります。競技を通じて知り合った方たちに、いろいろな場面で助けてもらっています。

――環境を大事にしたことで得られたものでしょうね。競技と向き合って得たことは、ご自身としては当たり前のことで、あまり意識されないのかもしれません。

鈴木 例えば、しんどいことに我慢して取り組むとか、競技・仕事・家庭といろいろな場面がある中での時間の使い方とか、競技生活を通してできるようになったことなのかもしれないとは思いますけど、あまり意識していないですね。

――人生の進路選択を振り返って、どう感じますか。鈴木さんの場合、定めた目標を見続けて進むのではなく、自分を評価してくれたり、期待をかけたりしてもらった場を大事にして、期待に応えよう、期待を超えようと頑張ってきたキャリアのように思います。

鈴木 そうですね。専修大も選手としての進学にチャレンジしようと考えていた中で、声をかけてもらったチームです。会社も、ほかに声をかけてくれたチームもあったのですが、最初に声をかけてくれた富士通を選びました。社会人としてプレーしていく中で、個人として評価していただけるようになりましたが、なかなかチームでタイトルが取れず、本当にどうしたらいいか分からずに悩んだ時期もありました。でも、やっぱり1年1年の積み重ね。その時々にやるべきことをやっていくうちに、つながっていったという感じがありますし、振り返っても、充実しているなという感覚があります。

[写真]=主将として挑んだライスボウルで優勝トロフィーを掲げる鈴木さん

――これから競技、進学、就職などの選択をする若い世代に伝えたい、大事なことは?

鈴木 私は大きな目標に突き進み続けたという形ではないので、目指す場所がある人に偉そうなことは言えません。ただ、自分に与えてもらった環境や範囲のことは、しっかりとやり切る、やり切ったと思えるようにすることは、どんな場に進んでも大事だと思います。

 人は、何かうまくいかなかったときに自分以外のところに原因を見つけようとしがちです。例えば、試合に負けたとき、チームとしての振り返りは必要です。戦術の選び方とか、連係とか。でも、それとは別に、今の環境で「自分には、何ができた?」という視点で自分に追求することが大事。やるべきだ、やった方が良いと思ったことを、本当にやったか。自分がやり切れたかどうかは、自分で責任を持たないといけません。年齢を重ねて、大人から言われることが少なくなるにつれ、誰も責任を持ってくれなくなる部分です。

――読者の方もうなずくでしょうけど、実際にやるのは難しいことですよね。

鈴木 難しいと思います。偉そうに言いましたけど、もちろん、私も全部できているわけではありません。でも、本当に小さなことでも「ちゃんと、やった」と思えることが、競技でも仕事でも、自分を支えてくれます。例えば、仕事のメール。とりあえず静観でいいかと思うか、分かりました確認しますの一言でもまず返信するか。小さなことだけど、やった方が良いと思ったことは、やったと思える自分でいることが、自尊心を保ってくれるというか、今日もやりきったぞと思わせてくれます。他者から見て、それでも足りない部分はあるとは思いますけど、自分の中のやるか、やらないかの選択で、やる方を選んだという感覚の積み重ねは、すごく大事だと思います。

――子どものうちは、やらされることで習慣化することもありますが、大人になると、自分で注意しなければ、できないことですね。

鈴木 年齢を重ねると、自分に任される時間が多くなります。社会人になって、競技と仕事を両立する中で、ほかの選手よりも成長しようと思ったら、チーム練習以外に、何かアメフトのエッセンスを入れなければいけません。方法はいろいろあると思います。身体のケアか、個人トレーニングなのか、映像分析なのか。私は、自分で「これとこれを終わるまで、グラウンドから帰れない」と思って、やるようにしていました。一緒に自主練習をする選手がいない日には「家庭もあるのに、オレは一人で何をやっているんだろう?」と思うこともありました。でも、きっと成功する人は、その時間も別の場所で努力しています。その日、一人でも自分で決めたことをやり切ったことが、苦しいときに「オレは、やって来た」という自負になって、自分を支えてくれます。

[写真中央]=主将として試合に臨む鈴木さん(#45)

――最後に、また新たな形で競技に関わる今後について、意気込みを聞かせてください。

鈴木 2020年度に現役を引退して、24年の末まで営業畑で引き続き働いていたのですが、25年は2月から富士通アメリカンフットボール部フロンティアーズ事務局長になりました。3月末までは営業と兼務ですが、新しい形でチームに関わります。

 現役のときに、このチームは、こうあるべきだと思うことは多くありました。もちろん、すぐにはできそうにないこともありますが、今、やりたいこととして言えるのは、チーム愛を大事にすること。以前ヘッドコーチを務めていた藤田智さん(現・京都大学アメリカンフットボール部 GANGSTERSヘッドコーチ)が「どんなチームでも、どんな会社でも、組織の陰口をたたく人はいる。でも、本当は、その陰口をたたいている人間も含んで、会社だったり、チームだったりするものなので、君もその一人だよ、そこを意識しなさい」と言っていたのですが、私は、この言葉が好きです。 大事な試合があるのに仕事で参加できないとか、すごく調子を上げているのに試合で起用してもらえないとか、日々の活動の中でストレスを感じる場面は、それぞれに絶対にあります。でも「それでも、やっぱり、富士通フロンティアーズが好きだな」と現役の選手や関わる人に思ってもらいたいし、OBにも「やっぱり富士通フロンティアーズが好きだ」と思ってもらいたい。具体的に何をすれば、そうなれるのかは、もっと考えなければいけませんが、今回の立場では、その実現に自分が寄与しなければいけないと思っています。

【鈴木將一郎プロフィール】
富士通株式会社 ソーシャルシステム事業本部 キャリアソリューション事業部 マネージャー
富士通アメリカンフットボール部フロンティアーズ事務局長
埼玉県出身 1979年生まれ
高校進学を機にアメリカンフットボールを始め、大学はより高いレベルを求め専修大に進学。オフェンスラインの選手としてプレーしていたが、大学3年時にラインバッカーにコンバート。このポジション変更が契機となり大学東西オールスター戦メンバーにも選出される活躍を見せる。大学卒業後は富士通フロンティアーズに入団、日本代表にも選出される。2014年には自身の競技キャリア初であり、フロンティアーズ創部依頼初でもある日本一となった。主将として臨んだ2016年の優勝を皮切りにした4連覇にも貢献。41歳での現役引退以降は社業に専念していたが、2025年2月よりフロンティアーズ事務局長に就任し再びアメフト界に戻ってきた。

取材/平野貴也

スポーツ総合サイト「スポーツナビ」の編集記者を経て2008年からフリーライターとなる。サッカーやバドミントンを中心にスポーツ全般を取材。育成年代やマイナー競技の大会取材も多い。

撮影/野口岳彦

1983年大阪生まれ、千葉育ち。 大学卒業後、テーマパークのスナップカメラマン、都内の写真事務所勤務を経て、2011年からフリーランス。 2014年よりJリーグオフィシャル撮影も担当。使用機材はNikon。

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