バスケットボール・湊谷アレクシスさん|プロ選手最大の財産はコネクション “みなとまち”での経験を転機に

湊谷アレクシスさんは2019年に引退するまで、3チームでプレーした元バスケットボール選手だ。Bリーグファンにとって印象深いのは3シーズン在籍し、キャプテンも務めた横浜ビー・コルセアーズ(ビーコル)時代だろう。
さらにさかのぼると洛南高、青山学院大での活躍は唯一無二であり、異次元だった。パワーとスキルを兼ね備えたフォワードであり、高3時(2006年)のウインターカップではエースとして優勝に貢献した。準決勝は橋本竜馬、金丸晃輔を擁する福岡大大濠を下し、決勝は篠山竜青のいた北陸から40得点を決める鮮烈なプレーを見せている。青山学院大でも橋本や、洛南の後輩でもある辻直人、比江島慎とともに黄金時代を築き上げた。
その後は相次ぐケガに見舞われ、プロキャリアは8年にとどまった。ただプロ時代の経験が「今」につながっている。ビーコルではアキレス腱断裂も経験し、30歳での望まぬ引退を強いられた。しかし“みなとまち”の3年間は人生の経験値を上げ、人の縁を深める時間でもあった。
現在の彼はビジネスマン、経営者だ。「株式会社Alexis」を起業するとともに、同学年の橋本や篠山とともに「88 Basketball」の活動も手掛けている。インタビュー前編は栄光、挫折の入り混じった現役時代と、ネクストキャリアに踏み出した時期の紆余曲折を振り返ってもらっている。
――湊谷さんは2019年に横浜ビー・コルセアーズで引退をされました。今は「株式会社Alexis」を起業して、サプリメントの開発や販売をしていますが、引退後のキャリアについてはいつ頃から考え始めていましたか?
湊谷 漠然と「何か商売やりたいな」とは思っていました。ただ、あと2、3年はやるつもりでいて、まだ引退する気はなかったんです。B2、B3からの話はあったのですが、B1へのこだわりがありました。あと引退する2年前にアキレス腱を断裂して、100%で動けなかったんです。それなら引退して、次の何かに注力するという判断をしました。 プロになってからは本当にケガが多くて、せっかくの「いいとき」に呪われるように大ケガをしてしまっていました。学生時代は優勝ばかりで、順風満帆だったのですが。

――最初に学生時代のキャリアについてお聞きします。ご出身は青森市内で、県内の強豪・津軽中に転校をされました。
湊谷 最初にいた中学は県2位で、津軽中が1位だったんです。中2で転校したのですが「青森から飛び出したい」「このままでは終わる」という危機感が中学生ながらにありました。県1位に行った方が全国大会も可能性も高いし、それもあって決めました。
――津屋(一球)選手が津軽中から洛南に進学しましたけど、青森から京都へ行くケースはなかなかないですよね?
湊谷 初めてだったと思いますね。やはり青森だと秋田の能代(工業)への進学がイメージしやすくて、自分たちの代のキャプテンも能代です。自分もお誘いを受けたのですが、洛南のユニフォームがかっこいいなと(笑)
――あの当時の洛南は人材が強烈でした。
湊谷 後輩も優秀な選手しかいなかったです(※1学年下に辻直人、2学年下に比江島慎、谷口大智がいる)。高校時代は1年から使ってもらって、自由にやらせてもらいました。津軽中に行ったことは大きくて、戦術的なことも身についたし、考え方も1年でガラッと変わりました。だから洛南のチームにもすんなり入れました。

――洛南3年のウインターカップは大活躍をして優勝を飾っています。青山学院大でも関東リーグの優勝が3回、インカレ優勝が2回です。
湊谷 学生時代まではそういうキャリアだったんですけど、プロでは8年やって、ちゃんと出られたシーズンがほとんどないんです。
――三菱電機入りは2011年なので、まだ「JBL」の頃ですね。
湊谷 当時は社員契約も結構いましたが、僕はプロ契約を選びました。バスケが終わった後も自分で何かやりたいと考えていたので、社員契約は頭になかったです。
――ただ、そこから思い通りに行かない時期が続きます。
湊谷 三菱電機に入って、すぐスタートで使ってもらったんですよ。「よっしゃ」と思ったら、ハムストリングス(太もも裏)の断裂をして、復帰まで半年くらいかかりました。そこから傷めたところをかばっていたのか、小さいケガがどんどん続きました。三菱電機は4シーズン所属したのですが、試合に出てはケガを繰り返していました。

――横浜ビー・コルセアーズに入ったのは、Bリーグが始まるのと同じタイミングです。
湊谷 三菱電機に4シーズンいて、つくばロボッツ(現茨城ロボッツ)に1シーズンいて、それからビーコルです。ビーコルは川村卓也さんを筆頭にチームメイトが濃かったですし、楽しかったですね。Bリーグになって、もう比べ物にならないぐらい注目度も上がりました。練習場にエアコンが無くて、夏は最悪でしたけど……。今もビーコルの試合はよく見るのですが、お客さんがよく入っていますし、外国籍選手のレベルも高いし、ちょっと羨ましいです。河村勇輝選手(現グリズリーズ)がビーコルに入ってから変わりました。
――ビーコル時代の思い出で「これ」というものはありますか?
湊谷 まず毎年入替戦に行ったことです(苦笑)。あとはアキレス腱を切ったあと、古い文体(旧・横浜文化体育館)でやった復帰戦です。ブースターの皆さんも「待ってました!」みたいな温かい反応をしてくれて。あの試合は鮮明に覚えています。
――アスリートの方にとって大ケガはメンタル的にも過酷で、それがさらにコンディションを崩してしまう要因になることもあります。湊谷さんはそこでどう戦い、どう乗り越えたのですか?
湊谷 メンタルは正直きつかったです。でも、そのときの岡本(尚博)社長が「待っているよ」と言ってくれて。それはすごく励みになっていました。あとトレーナーの窪田(邦彦)さんが、僕のメンタルケアを上手くやってくれました。やはりいらだつこともあるし、「早く復帰したい」という焦りも出ますが、彼が上手く調整してくれました。
ちなみに僕がビーコルでキャプテンをやったのも、岡本社長が「面白い人間にやらせろ」と言い出したからです。人生初キャプテンでした(笑)。
――キャプテンをやってみてどうでしたか?
湊谷 考え方が変わりましたね。今まで自分のことしか考えていなかったのが、周りを見られるようになったのは、キャプテンをやらせていただいたおかげだと思っています。今の仕事にもつながっています。

――引退後は「西京漬け湊屋」の販売をビーコルの会場でやっていた記憶があります。
湊谷 母が青森でやっているビジネスで、引退してそこの手伝いもしていました。生活資金がないので、最初はビーコルのスポンサーさんのところで働かせてもらいながら、実家の手伝いをやっていました。
――引退したとき、しばらく働かないで済むレベルの貯金はなかったわけですね?
湊谷 1年分くらいだったと思いますし、お金はすぐなくなるじゃないですか、だから「休んでいる暇はない」と考えて、すぐ働き出しました。住んでいたマンションも引っ越して、グレードを下げました。
――「ビーコルのスポンサーさんのところ」とは、どんな仕事ですか?
湊谷 横浜市場に入っている仲卸の社長さんが、ビーコルのスポンサーをやっていたんです。ある程度のお金がほしいと伝えたら「だったらしっかり働いてもらうよ」と言われて、朝4時起きでやっていました。キツ過ぎて円形脱毛症になりましたよ。
野菜の仲卸でしたが、市場だから魚関連の方ともつながりはあるじゃないですか。そこで月に1回、市場で一般の方も入れるイベントがあることも聞いて「1回(実家の西京漬けを)市場で販売させてもらえませんか?」とお願いをして出店しました。引退直後だったのでビーコルのブースターの方もいっぱい来てくれました。
市場は半年くらい働きました。母親の会社の手伝いも安定してきたので、お礼を言って退職しました。「湊屋」は通販ですが卸もやっていて、僕はイベントを手伝ったり、営業に行ったりしていました。
――他の方の話を聞いても、選手時代の付き合いがネクストキャリアにつながっているケースは多いですね。
湊谷 めちゃくちゃ大事だと思います。プロ選手のメリットは何だろう?とよく考えるのですが、まずコネクションだと思います。今の選手は自分たちの頃より厳しく見られていて、スポンサーさんと飲みに行くようなことは止められることもあるみたいです。ただ、それでもランチに行ったりはできますよね。気の合う社長さんがいたら、関係を作っておくべきです。そういう方が引退後に力になってくださったりしますし、僕は最後が横浜で本当に良かったです。
※後編へつづく
後編は4月23日公開予定
【湊谷アレクシスプロフィール】
株式会社Alexis 代表取締役 CEO/合同会社はちはち 業務執行役員
青森県青森市出身 1988年生まれ
学生時代は常に強豪校の中心選手として活躍し、津軽中、洛南高、青山学院大で多くのタイトルを獲得。2010年に三菱電機に入団しプロ選手となった。その後つくばロボッツ(現茨城ロボッツ)を経て、横浜ビー・コルセアーズに加入。現役時代はアキレス腱断裂を始めとする多くのケガに悩まされ、2019年に現役を引退した。引退後は家業の「西京漬け湊屋」と横浜市場での卸の仕事についていたが、自身の経験を活かしたいとサプリメントの販売・卸事業を行う株式会社Alexisを立ち上げた。さらに2024年からは、同じ88年生まれの橋本竜馬、篠山竜青とともに88 Basketballの活動を開始し、バスケットボールクリニックを各地で開催するなどしている。
2024年6月14日・15日に、中学生を対象とした1泊2日の合宿型キャンプ「88 Special Camp × 福大大濠トロージャンズ」を福岡大学附属大濠高等学校にて開催予定。
詳細はこちら: https://88basketball.jp/88SpecialCamp
やや守備範囲が広めのスポーツライター。時にはスポーツ界の「ファウルグラウンド」まで取材のグラブを伸ばすことも。 サッカーキング、バスケットボールキング、ベースボールキングに続いて、ついにバレーボールキングへの進出も果たした。

1991年生まれ、宮城県出身。 小学生の時にマンチェスター・ユナイテッドを心のクラブに選定。取材で、マン・C/アーセナル/チェルシーなどに携わることができたが、未だにマンチェスター・ユナイテッドからの話は無い。