スポーツ庁で奮闘する元ラガーマンが感じた、若年層からのキャリア意識の重要性<後編>
スポーツ庁によるアスリートキャリアの支援は、デュアルキャリアの概念を浸透させることが軸になっているが、若い頃から様々な犠牲を払いながら競技一筋に過ごしてきたトップアスリートの場合、デュアルキャリアの重要性について知る機会が限られているという実情もある。
ラガーマンとして長く第一線で活躍した川西智治氏は自らの経験を踏まえ、その現実を変えるべくスポーツ庁のアスリートキャリア支援事業に取り組んでいるところだ。インタビュー前編でお話いただいた、スポーツ庁参事官(民間スポーツ担当)付として川西氏と共に事業を進めている重本大輔氏にも話を伺った。
―――川西さんはデュアルキャリアについて昔から意識されていたのでしょうか、それともその後のキャリアについては引退してから意識するようになったのでしょうか?
川西 現役中は、なかなかセカンドキャリアについて意識することはできなかったですね。人の人生を考えると長いんですが、僕らにとっての夢や目標、例えば日本代表になるとか、優勝するといったものは、早い時期に到達したり終わりを迎えてしまうんです。その夢や目標が大きすぎて、他のことに目を向けることができませんでした。
もちろん夢や目標を持つことは悪いことではないんですが、人として与えられた使命が「後悔しないように人生を全うする、幸せに生きる」ことと考えると、それはあくまでも人生を幸せに生きていくための通過点、一つの物語にすぎないと考えないといけない、と競技を引退してから思うようになりました。
―――キャリアについて考えることは難しかったとのことですが、選手として強豪チームで長く活躍されたのは本当に素晴らしいことだと思います。
川西 僕の場合、高校から始めたラグビーがたまたま向いていて、結果が出て、そのままラグビーで大学に進んで、その後はたぶんプロでやるんだろうなと漠然と考えてしまっていました。
でも、今考えると高校や大学ってすごくたくさんのことを学べる環境で、その尊い時間を無駄にしていたなと思うんですよね。大学の学部も教員免許が取れるスポーツ健康科学部に入ったんですが、それも「つぶしが利くほうがいい」と親に言われて選んだだけで、人生を幸せに生きるためのライフプランに落とし込めていませんでした。自分はラグビーを頑張ってるんだからとりあえず単位が取れればいい、としか思っていなかったんです。
一度、現役中にセカンドキャリアとして指導者を考えた時に、言葉に説得力をつけるため、スポーツ心理学・栄養学など、様々な本を買い、勉強しました。また海外選手ともコミュニケーションをとらないといけないので、英語も勉強しました。
ただ、ふと気づいた時に「これって高校・大学時代に履修科目としてあったな」と思い、その頃に引退後、指導者になるというライフプランを立てていれば、時間を有効に使うことができていたなと学生時代を振り返ったことがありました。
だから、中・高・大学生に対して、スポーツキャリアだけでなく、人生においてのキャリア目標を立て、今何をするべきか、ライフプランに落とし込むようなサポートをしていく必要があると思っています。
まずはいろんな人の話を聞いて、選択肢がたくさんあるということを知ってもらって、その上で自分の人生をどう動かしていくかということを考えられるようにならないといけないと思います。僕は現役時代「スポーツキャリアサポートコンソーシアム」というものを全く知らなかったんですが、これは本当に素晴らしい取り組みだなと思いました。
現役時代に病との闘いもあった川西氏だが、長い競技生活を送ったことで、社会に出る際の不安も大きくなったという。その経験があるからこそ、早いうちに将来のビジョンを持ち、備えておくことが大事だと考えている。
―――体調を崩されることもあり、苦労されながらもキャリアを全うされたと思うんですが、引退のタイミングで次に何をしようと考えていたんでしょうか?
川西 実は「まだできる」と思っていたので、最初に考えたのは移籍でした。でも、問題はその後に何をするか。僕は正社員としてトヨタ自動車へ入社したので、会社に残ることができる。色々悩んだ結果、社業に専念しようと思いました。社員としてはかなり後れを取っている分、危機感を持ちながら業務に取り組んでいる中で、スポーツ庁への出向のお話をいただきました。今はすごくポジティブに日々を過ごすことができています。日々学びですが、人間関係作りやコミュニケーション力に関しては、アスリート時代に培ったスキルとして活きているものの一つだと感じています。
―――スポーツ行政の立場で仕事をされることは想像していなかったんですよね。
川西 思っていなかったですね。トヨタ自動車では現役生活が長かった分、早く引退した選手に比べて、仕事のスキルにおいてかなり後れを取っているので、自分がどれだけ貢献できるのかという不安がありました。人間なら誰しも「必要とされたい」という思いがあると思いますし、働くというのはやはり社会に貢献することですから、自分が価値を提供できる存在でいられているだろうか、という気持ちは今でも変わりません。
―――現役のうちから社会に恐れずに出ていけるような考えを持っていれば、その後がまた違ってくるということですね。
川西 アスリートは自分の目標を達成するためなら、どんな壁でも乗り越える力が強いと思います。その力を発揮するために、様々なセカンドキャリアでの選択肢や情報をインプットしてあげることで、自分の力を発揮できる明確な目標設定ができると思います。その結果、自ずと現役時代に、何を勉強しておけばいいのかという具体的な道筋は立てられると思うんです。
インタビュー前編でお話を伺った重本大輔氏も、元アスリートとしてスポーツ庁に出向している川西氏も、アスリートのキャリアをサポートする側だ。これまでに歩んできた道は当然異なり、アスリートキャリア支援がどうあるべきかという点についても、その考えはそれぞれの立場に基づいたものになっているが、若い頃の過ごし方が重要という点で、思い描く方向性は同じ。その理想を語る2人の言葉は力強い。
重本 まずは、デュアルキャリアという考え方を浸透させることが答えの一つだと思います。そこをいかに若者のところから広げていけるか。ただ、企業からすると、利益を出さないといけないというのが大前提にあると思うので、そこと照らし合わせるとなかなか難しい部分もやはりあると思います。単なる社会貢献だけではなく、マネタイズされるようにうまくマッチさせていくと、我々としてももっと大きな活動ができると思っています。
川西 本当に重本さんがおっしゃった通りだと思います。人生においての理想って、100%の幸福感を得て人生を送るということ、それを仕事でも実現する、ということになると思うんですが、理想論かもしれません。ただ、自分がやりたいと思うことなら努力もできるし、踏ん張れる力というのもスポーツの世界で培って活かすことができる。自分がやりたいこと、必要とされる場所を見つけるために、多くのことをインプットしておいてほしいと思います。
【重本大輔プロフィール】
1983年生まれ兵庫県芦屋市出身
阪神大震災に被災し大阪に移住。大学で青森県弘前市へ。
スポーツ三昧の4年間を過ごす。
スポーツで人を幸せにしたいという思いから、2006年新卒でセントラルスポーツ株式会社に入社。
レセプション職、インストラクター職、店長職、温泉部門、店舗開発部等を経て2023年4月より現職(官民交流で出向中)
【川西智治プロフィール】
1987年生まれ千葉県松戸市出身
高校からラグビーを始め、大学に進学。
2010年にトヨタ自動車ヴェルブリッツに入団
2021年までの11年間を現役選手としてプレーし、そのまま社業専念。
2024年9月より現職(官民交流で出向中)
2000年より、バスケットボール専門で取材活動中。
1983年大阪生まれ、千葉育ち。 大学卒業後、テーマパークのスナップカメラマン、都内の写真事務所勤務を経て、2011年からフリーランス。 2014年よりJリーグオフィシャル撮影も担当。使用機材はNikon。