バレーボール・大山加奈さん|「幸せな競技人生」は自分でなく荒木絵里香をお手本に  “PDM”に見出した使命<後編>

2024.09.25
取材/ 大島和人
撮影/ 須田康暉

 大山加奈さんは間違いなく日本女子バレーボール界の「頂点」にいたアスリートだ。小中高すべてで日本一を経験し、アテネオリンピックには20歳で出場している。バレーボールファン以外からも知られたスター選手だった。

 ただし誰もが羨む幸せな競技人生を送ったとは言い難い。腰の深刻な故障、メンタルヘルスの問題はまさに「挫折」で、彼女は二十代の半ばでコートから去った。下北沢成徳高、東レの同期だった荒木絵里香が三十代半ばまで日本代表で活躍したのと比較すると、キャリアの短さと挫折の深さは対照的にも思える。

 「子供たちが健全にスポーツ、バレーボールに取り組める環境を作っていきたい」という思いこそが、現在の活動の軸になっている。選手に寄り添い、中立的な立場から支える「プレーヤーディベロップメントマネージャー(PDM)」は大山さんが特にやりがいを持って取り組んでいる仕事だ。目先の結果に追われて無理をするのではなく、悩みを抱え込んで追い込まれるのでもなく――。「いい意味で大山加奈と違うキャリア」を送るバレー選手を増やすことが、彼女のミッションかもしれない。

 インタビュー後編は東レを退社し、バレーボールの普及や競技団体の理事、選手のケアと活動範囲を広げている大山さんのネクストキャリアについて語ってもらっている。

前編はこちら

―――東レを退社し、独立されてからのキャリアはいかがですか?

大山 引き続いてバレーボール教室の講師、講演会の講師、解説が軸になっていました。そんな中で、自分の考えが変わっていきました。引退してしばらくは小中高全国制覇の経歴を誇りに思っていましたし、自信満々に自己紹介でも言っていました。しかし「本当に幸せな競技人生だったのだろうか」と考え始めたんです。

 色んな要因がありますけど、まずバレーに接する子供たちが楽しくなさそうでした。私がバレーボール教室をするときはワイワイやってくれます。でも試合になるとミスを恐れながら、怒られることを恐れながらプレーしているんですよね。

 あとは(下北沢成徳、東レアローズの同期だった)荒木絵里香を間近で見ていて羨ましかったんです。荒木は幼少期にいろいろなスポーツを経験したのちに本格的にバレーを高校で始めましたけど、あれだけの長いキャリアを積んでいますから。若いときは苦しんでいましたが、30歳を超えても「自分はまだ上手くなれる」という気持ちでバレーボールに取り組んでいました。「私もそんな境地でバレーボールがしてみたかったな」という気持ちになったんです。(※荒木さんは2014年の出産を経て現役に復帰し、2021年に36歳で東京オリンピックに出場)

[写真]=ご本人提供

―――小さいときに無理をすると、高校生や大人になったときのキャリアを損なうことがありますね。

大山 私も腰の手術のとき、ドクターから「幼い頃からのオーバーユース」について言われました。幸い私は代表に入ってオリンピックにも出られましたけど、その前に潰れてしまった選手がごまんといます。そこからは子供たちが健全にスポーツ、バレーボールに取り組める環境を作っていきたいなという思いが、私の軸になりました。

―――そういう思いを叶えるために、どのような動きをされましたか?

大山 自分の経験則だけで接してはいけないなと思って「勉強しよう」という気持ちが起こりました。元々勉強が嫌いではないですし、読書も好きです。むしろ体育の方が嫌いなタイプの人間だったので(苦笑)。今はプレイヤーディベロップメントプログラム(PDP/アスリートを多角的に支援する仕組み)や、ペップトーク(短い激励スピーチ)も学んでいる最中で、すごく楽しいです。

 セミナーや講演、バレーボール教室に加えて、サッカー、ソフトボールなどの競技団体の理事をやらせてもらっています。ヴィアティン三重のプレイヤーディベロップメントマネージャー(PDM)もやらせてもらっています。メンタルヘルスの問題だったり、子育てだったり、自分の様々な立場で活動をさせてもらっています。しかし「自分はこれ」という武器がなくて、そこは悩みです。

―――ヴィアティン三重ではエグゼクティブアドバイザーを経て、PDMのお立場になられました。

大山 アドバイザーの仕事は主にホームゲームの手伝い、集客で、チームを認知してもらうところでした。2年間やらせてもらったのですが、GMにPDPを勉強しているとお話したとき、「今のチームに必要なのはそれだ」と言ってくださったんです。今は選手とマンツーマンで向き合っています。選手の悩みを聞くところが、一番大切な仕事です。

―――やり取りは技術、プレーについてでなく、それ以外が主ですか?

大山 そうです。むしろプレーについての助言はしない立場です。アスリートは弱音を吐く場所がありません。私の仕事は第三者的な立ち位置で、心理的安全性を守りながら、悩みの相談を受けることです。

―――相談内容はGM、監督には伝えないのですか?

大山 守秘義務があるので、それは一切言いません。契約書にも、そう記載されています。

 悩みを外に出す、言語化すると、頭の中が整理されていくこともありますよね。私の仕事はまず「吐き出す場所」を作ってあげて、話を聞いてそれを掘り下げられるような質問をして、選手に気づいてもらう作業をしています。

―――大山さんが東レの選手として苦しんでいたとき、そういう存在があれば助かったな?という思いはありますか?

大山 そう思うので、PDMになりました。さらにいうと勝ち負けのところだけでなく、「人生を充実させる」ための我々だと考えています。競技は人生の一部でしかないという考え方のもとで接していて、昨シーズンもヴィアティンのアドバイザーとして引退を悩んでいる選手の相談に乗って、その子は引退を決断しました。

―――選手も大山さんのような経験を持つ方のアドバイスは耳を傾けやすいですね。

大山 やはりそうみたいです。良くないところですけど、アスリートは経験がない人の言うことに耳を傾けない面があると思っています。あと特に年上の女性に対してというのが一番心を開きやすいというデータも出ているようです。

―――PDMという役割については強い使命感、やりがいを感じてらっしゃる印象を受けます。

大山 今は一番ここに力を入れていきたいなと思っているくらいです。選手によりも良いものを提供できるように、ペップトークを学んだり、心理学の本を読んだり、そういうことを今やっています。

 そういう存在が必要なのはアスリートだけではないですよね?もしかしたら選手より、監督の方がPDMは必要かもしれません。チームの内情は外部に吐き出せないし、弱みも見せられない立場ですから。だから「監督にもいつかPDMの助けを」と思っています。

【大山加奈プロフィール】
小学校2年生からバレーボールを始め、小中高全ての年代で全国制覇を経験。高校在学中から日本代表に選出され、オリンピック・世界選手権・ワールドカップと三大大会すべての試合に出場。高校卒業後は東レ・アローズ女子バレーボール部に入部。力強いスパイクを武器に「パワフルカナ」の愛称で親しまれたが、腰の怪我の影響もあり2010年に現役を引退。現在は全国での講演活動やバレーボール教室、解説、ヴィアティン三重のPDMなど多方面で活躍中。

やや守備範囲が広めのスポーツライター。時にはスポーツ界の「ファウルグラウンド」まで取材のグラブを伸ばすことも。 サッカーキング、バスケットボールキングに続いて、ついにベースボールキングへの進出も果たした。

1991年生まれ、宮城県出身。 小学生の時にマンチェスター・ユナイテッドを心のクラブに選定。取材で、マン・C/アーセナル/チェルシーなどに携わることができたが、未だにマンチェスター・ユナイテッドからの話は無い。

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