チアダンス・鬼原美優さん|社会人になってもチアダンスが続けられる喜び すべての経験を活かし「人生で踊る」
いつも、人生の中にあり続けたチアダンスと、共に生き続けたい――。
そんな女性たちの情熱を社会に活かすべく、2017年に創設された実業団チアダンスチーム「ベアーズレイ」。
競技者としてトップを目指すだけでなく、株式会社ベアーズの正社員として働く。アスリートとして抱く夢と、社会人としてのキャリアアップ、2つの夢を叶えるべく「デュアルキャリア」を実現するベアーズレイでキャプテンを務めるのが鬼原美優さん。チアダンス、そしてベアーズレイへと至った経緯や、社会人として働く日々。そして、上司であり「総監督」でもある髙橋ゆきさんとの出会いが「今」にどう活かされているのか。
鬼原さん、髙橋さんのインタビュー前編ではデュアルキャリアのスタートについて語っていただいた。
競技との出会いは小学2年
「人生の中にいつもチアダンスがあった」
――鬼原さんがチアダンスに出会ったきっかけを教えてください。
鬼原 最初は小学2年生の時、母が川口のカルチャースクールに入れてくれたことがきっかけでした。他にも水泳やピアノ、いろいろな習い事もしていたのですが、一番「楽しい」と思って長く続いたのがチアダンスでした。振り返れば20年近く、チアダンスと生きてきました。小さい頃からさまざまな大会に出場してきたのですが、当時から「いつか世界大会の舞台で踊りたい」と夢見ていました。目標があればそれだけモチベーションも高まりますし、取り組み方も変わる。でも、まさか本当に自分が世界の舞台に立てるということは考えもしていませんでした。
――幼い頃から競技者思考が強かったのですね。現実的にチアダンスを実業団選手として、と考えたのはいつ頃でしたか?
鬼原 そもそも子どもの頃はチアダンスを続けるならクラブチームしかないと思っていたので、中学へ入学してからもチアダンスはクラブチームで、学校の部活動では他の競技をしてきました。どちらも仲間が増えるし楽しかったのですが、高校へ進学する時に「やっぱりチアダンスが強いところでやりたい」と考えて進学先を選び、大学は日体大へ。小学生教諭を目指していた大学時代、大会で初めてベアーズレイを見ました。応援に来ていた母から「すてきなチームがあったよ」と言われて見たのが最初だったのですが、当時4人で踊っていたベアーズレイが実業団のチームだと知りました。「社会人になってもチアダンスが続けられるんだ」ということが衝撃でしたし、仕事をしながら競技レベルを上げていく環境があるなど考えもしなかった。私の人生を振り返ると、常にチアダンスがあって共に生きてきたので、ベアーズレイの存在を知り「私もここでやってみたい」と思い、入社しました。
――チームの「総監督」であり株式会社ベアーズの副社長でもある髙橋さんにおうかがいします。なぜ「ベアーズレイ」を創設されたのか。きっかけと込めた思いを教えてください。
髙橋 企業は「ヒトモノカネ」が大切だと言われる中、私は“人”が最大の資産であり、その“人”が持つ心の根っこの美しさがサービス組織づくりに反映されるといっても過言ではないと思っています。株式会社ベアーズは社長と私が夫婦で25年前に家事代行サービス会社として創業しました。10年ほど前、仕事で出会った青年が目を輝かせて仕事や会社への感謝を語る姿を見て「どうしてそんなに感謝しているの?」と聞くと、「僕の夢を応援してくれるからです」と。そのひと言が私の心にも響き、社員にとって「自分の夢を応援する会社になろう」と思ったんです。
髙橋 私も学生時代はチアダンスに明け暮れてきたこともあり、鬼原のように「チアがいつもそこにあった」という子たちが社会人になったら大好きなチアダンスを競技者としてはやめないといけないと思っていた社会を変えていきたい、と思い、本物の競技を続けるための競技部をつくろうと動き出したのが始まりです。彼女たちに限らず一般社員も結婚と仕事、育児と仕事、介護と仕事など、もしかしたらそれぞれの形でデュアル、トリプルの人生を抱えているかもしれない中、寄り添って支えてあげられる企業を育みたい。そのために私が総監督を命じられ、今はチアダンスチーム、吹奏楽団、総合格闘技、キックボクシング、陸上競技も増え、ベアーズの社員のうち現在、約70名をデュアルキャリアで採用しています。
仕事と競技の両立。
「大変なこともあるけれどデュアルキャリアを選択できて幸せ」
――実際に仕事とチアダンスをどのように両立しているのでしょうか?
鬼原 入社してからは家事代行のサービス現場スタッフとして働きます。その後、私は内勤になり、総監督であり副社長の秘書・広報を務めているのですが、どのような仕事形態でも競技を続けられる環境が整えられているので、基本平日は16時半頃まで仕事をして、その後練習が始まります。チアダンスだけをして、競技を退いてから初めてビジネスマナーを学ぶという生活はなかなか大変だと思いますが、社会人として学ぶべき知識や得るべき経験がありながら、競技者としても本気で挑める。デュアルキャリアは私にとって本当に魅力的です。
――どのようなところで最も魅力を感じますか?
鬼原 クラブチームで競技を続ける場合は、それぞれ異なる仕事をして練習するので時間も限られていますが、実業団として同じ会社で働く人間たちがチームを組む。まずその環境が恵まれていますし、つらいことや仕事で大変なことがあっても、メンバーと分かち合うこともできる。まさに第二の家族のようなチームです。実業団選手だけでなく、会社の方々も応援団として大会にチームタオルを持って熱い声援を送ってくださって、学生時代に立っていた同じ舞台とはまるで違う大会ではないかと思うぐらい、力をいただく。社会人として成長しながらアスリートとしてチアダンスも続けたいと思い続けてきたので、デュアルキャリアを選択できた私は幸せだと心から思っています。
髙橋 入社する際、私はチアダンスだけでなくちゃんと仕事もしなさい、と彼女たちに求めます。入社した日に踊ることと事業を通して、出逢ってくれた方々へ勇気と感動と愛を届け続けることは想像以上に大変だけど、その分‟お役目に生きることが叶い、あなたは輝きながら人として成長していく!”と伝えていますし、昇格試験も必ず受けさせます。
――競技も仕事も一流を求める。そのような環境は鬼原さんにとっていかがですか?
鬼原 社会人1年目は初めてのことばかりで、できないことも多すぎて、仕事とどうやって両立すればいいのか。練習時間をどうやって確保すればいいか。最初はきつくて泣いたこともありましたが、総監督からの愛あるご指導と支えてくださる社員の皆さんのおかげで乗り越えることができました。チームのキャプテンでもあるので、総監督から教えていただいたことを私から他の選手に伝えることで、チームづくりにも活かされていると感じています。
髙橋 学生時代と社会人になった今、何が違うか。それは仕事やさまざまな人との出会いを通してせつなさ、悲しさ、悔しさ、やるせなさ、言葉にできない葛藤も乗り越えての今なのだから、″人生で踊って愛を輝かせなさい″、これは社会人しかできないことだよ、と。私は常に人生で仕事をする、人生で子育てをする、人生で踊りなさい、という指導なので彼女たちの単なる上司ではなく、人生の総監督をやっているつもりですし、壁を乗り越えて輝きに変える姿を見ると総監督冥利に尽きる喜びがあります。
後編につづく
※後編は1月23日掲載予定
【鬼原美優プロフィール】
Bears Ray キャプテン
株式会社ベアーズ 東京本社 コミュニケーションデザイン室 広報・秘書
小学2年生でチアダンスを始め、日本体育大学へ進学し、学業に励むと同時にクラブチームで競技としてのチアダンスを継続。2019年に株式会社ベアーズに入社。当初は家事代行スタッフとして勤務しながら、並行してチアダンスチーム・ベアーズレイで活躍。2023年フロリダ・オーランドで行われた、全米強豪チームと世界40か国からのクラブチーム代表が集結するクラブチームの世界選手権「THE CHEERLEADING AND DANCE WORLDS CHAMPIONSHIP」OPEN JAZZ部門にて第3位を獲得。その後キャプテンに就任しチームを牽引していたが、アキレス腱断裂の大ケガによりリハビリを余儀なくされる。しかし懸命なリハビリによって翌年復帰し、見事All JAPAN CHEER DANCE CHAMPIONSHIP 2024 決勝大会で日本一に輝いた。仕事面では、2019年よりコミュニケーションデザイン室に異動となり、今では、経営サポート室にて副社長のアシスタントに成長し、秘書役と広報業務に従事している。
【髙橋ゆきプロフィール】
株式会社ベアーズ 取締役副社長 CVO&CLO。
自身の香港での原体験をもとに、夫と共に「家事代行サービス産業確立」を目指し、1999年に家事代行サービスのパイオニアであり、リーディングカンパニーである、株式会社ベアーズを創業。“新しい暮らし方の提案”“新しい雇用の創造”を軸に、「日本の暮らしの新しい文化」をつくっている。
経営者として社員のウェルビーイングを第一に考え、社内3つの実業団の「総監督」も務め、各種ビジネスコンテストの審査員や、ビジネススクールのコメンテーターを務めるほか、家事研究家、日本の暮らし方研究家としても、テレビ・雑誌などで幅広く活躍中。2017年にベアーズ実業団第一号となるチアダンスチーム、Bears Ray創設に続き、吹奏楽団、総合格闘技、キックボクシング、陸上競技部の総監督を務めている。1男1女の母。
バレーボール、フェンシングなどを中心に取材するスポーツライター。最も好きな現場は春高バレー。『Number』や『NumberWEB』で主にバレーボール記事を執筆、著書に『高校バレーは頭脳が9割(日本文化出版)』や『勇者たちの軌跡(文藝春秋)』がある。
1983年大阪生まれ、千葉育ち。 大学卒業後、テーマパークのスナップカメラマン、都内の写真事務所勤務を経て、2011年からフリーランス。 2014年よりJリーグオフィシャル撮影も担当。使用機材はNikon。