バレーボール・佐々木太一さん|好奇心が突き動かした“マスター・オブ・ウイスキー”への道

2025.04.15
取材/ 田中夕子
撮影/ 戸張亮平

 バレーボール日本代表選手として、五輪出場こそかなわなかったがワールドカップや世界選手権に出場するなど佐々木太一さんは華々しいキャリアを築いた後、33歳で現役引退。選手時代から所属したサントリーで営業職に就いたが、そこで壁に当たる。

 いかにプライドを捨てられるか。

 バレーボール選手、元日本代表という肩書に頼らず、営業職として人脈を築き、成果を残す佐々木さんが新たに出会い、突き詰めたのがウイスキーの専門家として、魅力や知識を広く伝えること。2011年には日本人第一号としてマスター・オブ・ウイスキーの資格も取得し、現在も全国各地でウイスキーの啓発活動の第一線に立ち、セミナーの講師なども担っている。

 夢中になることを見つけるには「好奇心が大事」という佐々木さん。インタビュー後編では、前例のない道を切り拓いてきた道のりについて、語っていただいた。

前編はこちら

――33歳で現役引退、バレーボール選手としてのキャリアを終えてから社業に専念する。当時は営業職とうかがいました。

佐々木 現役時代も名ばかりの担当を持って仕事もしていましたが、今考えるとお話にならないレベル。仕事の厳しさを実感したのは引退してからです。

――当時のバレーボールは企業色が強かったので、引退後も佐々木さんのように社業に専念する人が多くいますが、大半が「現役時代と比べてはるかに苦しい」と聞きます。選手としてのキャリアを捨てきれない、というのも一因では?

佐々木 おっしゃる通りで、当たり前の話なんですよ。だから社会に出て、痛い目に遭う。私もそうでした。引退後に2年ほど営業職でいろいろな場所を回り、数字も悪いわけではなかったんです。でも自分は33歳の新入社員であるのに対し、隣を見れば会社で10年以上働いてきた同僚がいるわけです。キーボードの配列すらわからない状態で、そういう人たちと一緒に働かなければならない。しんどいのは当然ですよね。でもだからといって、現役時代に何かをやっておけ、ということではないんです。一番大事なのはどれだけプライドを捨てられるか。プライドを捨てられなければ何をしても一緒です。

――選手としてのキャリアが華やかであればあるほど難しいですね。

佐々木 そうなんです。日本代表だった、Vリーグでチャンピオンだった、いつまでもそのままでは絶対に壁は破れない。それは1回捨てなきゃいけない。ですから私が最初に心がけたのは“バレーボールの佐々木太一”という名前を使わない、ということでした。会社からすれば日本代表にも入っていたのだからその知名度を使ってくれ、と思っていたかもしれません。でも私はそれが嫌だったし、いつまでもバレーボールに縛られるのではなく、本業をしっかりやりたかったので一切使わなかった。それなりの成績を出すことはできましたが、その分壁にも当たりました。

――営業職時代に直面したのはどんな壁でしたか?

佐々木 そもそも選手時代は、みんなから歓迎されて頭を下げていただける側にいるのに、営業になれば真逆。自分が頭を下げる立場になるし、商品を売るためには知識もなければいけない。すべてが自分の思うスピードでできるわけではないし、そもそも自分がいかに無知かを思い知らされる。たとえばウイスキー1つとってもそうです。営業でバーを回る時、サントリーの商品はシェア率が高いので、サントリーのウイスキーのことだけ知っておけばいいと思っていたけれど、バーテンダーさん相手にそれでは通用しない。当然他社のウイスキーについても、そもそもウイスキーという物自体を学ばないといけません。大変でしたが、壁に当たったからこそわかることがたくさんありましたし、ウイスキーについて本格的に学びだしたのもその頃です。

――2011年にはマスター・オブ・ウイスキー(ウイスキー文化研究所が主宰する、ウイスキーに関するあらゆる知識、鑑定能力を問う資格認定制度の最上位)を日本で初めて取得されました。ウイスキーのスペシャリストとなるきっかけは?

佐々木 私が営業職をしていた2007年の頃は、日本でウイスキーはほぼ飲まれていませんでした。なんとかウイスキーを語っていく人間を増やさなければならない、ということで2007年にサントリーがウイスキーの専門知識を持った社員を育成するために、ウイスキーアンバサダーという制度をつくりました。初年度は全国で28名。当時の大阪支社長から「暇やろ、行って来い」と言われて、いやいや忙しいのに、と思いながら(笑)、1年間仕事をしながら研修を受けました。日本の蒸溜所だけでなくスコットランドにも行き、科学的なこともいろいろと学ぶうち、面白い世界だな、と。もともとお酒は好きでしたが、セミナーを受け、講師の方々のお話を聞くうちに「これが自分の仕事になれば面白いのではないか」と思った。そこから世界が変わりましたね。

 いろいろと調べるうち、ウイスキーコニサーという資格があるのを見つけ、3段階のうち最上位のマスター・オブ・ウイスキーは試験が開催されていないことを知りました。その時にひらめいてしまったんですよ。これ、試験を実施していないということは最初に合格したら俺が一番になれるな、って(笑)。ウイスキーについて猛勉強して、営業職の経験を活かした地域によってどんなウイスキーが売れるかの違いを論文にして、最終試験は目の前に置かれたウイスキーをプレゼンテーションする。そして2011年に日本で初めてマスター・オブ・ウイスキーを取得しました。

――今や日本ではウイスキー、ハイボールの人気が非常に高まりました。佐々木さんが資格を取得した時期とも重なりますね。

佐々木 2007年の頃にはウイスキーを知ってもらうためのイベントとして、チョコレートとウイスキーをコラボしたりしてきましたが、ハイボールのブームや2014年に連続テレビ小説が放送されたこともあり、日本のウイスキーは一気に注目を浴びました。私も2014年に大阪から東京へ異動してから、蒸溜所のPRやセミナーで講師を務めるなど、ウイスキーを日本中に広げるための活動をするのが今の仕事です。

――セカンドキャリアに関して悩みを抱えるアスリート、自分にはどんなキャリアがあるのかわからない、というアスリートも多くいます。次のキャリアを探すうえで大切にすべきこと、ヒントがあるとしたらどんなことだと思いますか?

佐々木 私自身の経験で言えば、一番大事にしているのは好奇心です。そこらへんに転がっている球を蹴飛ばしながら進んでいくのか、1つ1つ拾って「これは何だ?」と止まるのか。拾ううち、その中で1つ、光るものが出てくることもあるかもしれない。そうやって、次にやりたいこと、興味を持つことを探していけばいいと思うし、それは決して一番好きなことである必要はないと思っています。たとえば、私は今ウイスキーを広めることが仕事ですが、じゃあウイスキーが一番好きか、と聞かれたら決してそうではない。もちろんウイスキーは大好きですが、好き、というよりもウイスキーの世界観が自分に合っているというほうが正しいですね。知れば知るほどウイスキーは本当に奥深い。ラベルや瓶の形を1つとってもいろいろなエピソードや背景があるんです。面白いですよ。

――とはいえ佐々木さんのようにウイスキーのスペシャリスト、マスター・オブ・ウイスキーを取得し、ウイスキーを伝える。しかもバレーボール選手として見れば、学生時代は無名の存在から一気に駆け上がる。どちらも珍しいキャリアであるのは間違いありません。

佐々木 人と比べないからわからないんですよ(笑)。ただ「何でみんなできないの?」と思うことはないし、自分が何でそんなことができたのか、特別だとも思わない。言えることがあるとしたら、人と一緒が嫌いなんですよね。天上天下唯我独尊ではないですが、全国大会に出ていない学生時代から日本代表に入って、引退してサラリーマンになったけれど普通の人生は歩みたくなかった。今の会社でのポジションも、もともとないものを勝手につくってやっているようなものですから(笑)。そういう生き方なんでしょうね。

――この先はどんなビジョンを描いていますか?

佐々木 日々好奇心を持ってやっているので、イメージはたくさんあります。飽きやすいタイプなので、いろいろなことにチャレンジしたいとは常に思っています。今年54歳なので、会社の仕事に魂を捧げたいというのが第一ですが、これからもウイスキーのことや、さまざまなことを人に話して、伝えていく中で「あんなおじいちゃんに言われたくない」と思われたくないので、アンチエイジングもしっかりやりたい。ボディメイクが趣味なので、これからも継続していきたいです。

――佐々木さんがこれからどんな発信をされるのか、今後も楽しみですが、佐々木さんのように引退後もそれぞれの場所で活躍したい、と思う人にアドバイスはありますか?

佐々木 やはり源は好奇心でしかない。日々の生活の中で好奇心を見出さなければとにかく何も見えて来ないですし、いいか悪いかもわからない。いろんなことに興味を持って、いろんなことを知ろうとしてほしいですね。私自身の経験をたどると、選手としての晩年にブラジルへ行った時、好奇心がなければその後の5連覇につながる感情や方法を持ち帰ることはできなかったはずです。試合に出るためにとにかく必死で、全員が25点を取るために1本目のレシーブをひたすら上げて、自分が全部打つ気で臨む選手もいれば、俺のサーブで25点全部獲ってやる、と思う選手がいてもいい。そう思えるようになったのはまぎれもなくブラジルでの経験がベースにあって、そこに私の好奇心があったからです。セカンドキャリアのために現役時代からできることは少ないし、やる必要もないとお話しましたが、いろいろなものや出来事に疑問を持って好奇心を持ち続けることはいつでもできる。人生において、とても大切なことではないでしょうか。

【佐々木太一プロフィール】
サントリー株式会社 スピリッツ本部 HOSグローバル推進部 シニアスペシャリスト
神奈川県横浜市出身 1971年生まれ
高校年代まで全国区の選手ではなかったが、専修大在学時に日本代表に選出され、サントリーに入団。ワールドカップや世界選手権への出場を果たし、Vリーグ5連覇への貢献、スパイク賞の受賞、ベスト6に5度の選出など、華々しい現役生活を送った。キャリア終盤にはブラジルへの留学も経験し、33歳で現役を引退。
引退後は営業職として勤務していたが、2007年にサントリーが創設したウイスキーアンバサダーの第一期生に認定。さらにウイスキーに関するあらゆる知識、鑑定能力を問う資格認定制度の最上位である「マスター・オブ・ウイスキー」を日本で初めて取得。現在はその知識をもとにウイスキーの啓発活動を行い、『絵とマンガでわかる ウイスキー1年目の教科書』も執筆した。

取材/田中夕子

バレーボール、フェンシングなどを中心に取材するスポーツライター。最も好きな現場は春高バレー。『Number』や『NumberWEB』で主にバレーボール記事を執筆、著書に『高校バレーは頭脳が9割(日本文化出版)』や『勇者たちの軌跡(文藝春秋)』がある。

撮影/戸張亮平

1980年生まれ、千葉県出身。 現在、都内の結婚式場での撮影や家族撮影などで活動中の株式会社unison所属のフリーカメラマン。幼少期は父の影響で野球をやっていた為、シーズン中はほぼ毎日野球を見ている。趣味はスポーツ観戦、ラジオ、お笑い。 現在は、サッカーを中心に陸上競技や野球など、様々なスポーツを撮影している。

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